善光寺地震


  1847年(弘化4年)5月8日に善光寺地震と呼ばれる地震が起こりました。
震源地は東経138度2分、北緯36度7分、マグニチュードは7.4と推定され、家屋の被害などから
考え、長野市周辺では震度7という激しい揺れであったと考えられています。
 建物の倒壊や火災、斜面崩壊などにより、約8300人の死者が出ました。人口比率で約2%、50人
に一人が亡くなるという大きな被害が出たわけで、阪神・淡路大震災をしのぐ規模の大震災であっ
たことが分ります。特に善光寺を中心とした善光寺町では地震の発生した日が、折悪しく善光寺御
開帳と重なっていたこともあり、2269人もの人が死亡し、建物の倒壊とそれに続いた火災のため、
町はほぼ潰滅しました。
 善光寺も大きな被害を受けました。幸い本堂や山門は倒壊を免れましたが、本堂にはこの時の地
震の痕跡が残されています。本堂正面と東面の角の柱には、その側に下げられた釣鐘が地震により
外れ、ぶつかってできた傷が残っています。また本堂周辺の石灯篭には倒れて角の破損したものが
数多く見受けられます。

(写真左)善光寺の柱に残る傷。学生の頭の上の釣鐘が落ちた。
(写真右)地震で倒れて角が割れた石灯篭。境内を歩くと数十基見つかる。


 またこの地震を起こした断層は地表にも一部、その顔を出しています。上の写真は長野市篠ノ井
小松原地籍で撮ったものです。写真の女の子が持っているメジャーは1mです。女の子の後ろにあ
る石垣は断層によるずれを石垣で固めたもので、約1.6mの高さがあります。
石垣の向こう側は、元々は水田で、道よりも低いところにあったのですが、地震により隆起して、
現在見られるように一段高くなっています。


<参考文献>
信濃毎日新聞編集局編:信州の活断層を歩く、信濃毎日新聞社、1998
小林計一郎:善光寺大地震のまとめ、長野182号、49−60、1995

(萩原 彰) (宮坂一部改)


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