稗田山の崩落
世に日本三大崩落の一つと言われる稗田山の崩落は1911年(明治44年)8月8日の未明午前 3時に突如として起こった。4キロ余にわたって崩落した大土石流は、浦川を流れ下って姫川を 塞き止め、ここ松ヶ峯を乗り越え、この地域一帯は壊滅的な打撃を受けた。  死者23名, 家屋と田畑の流失70余町歩  眼下に広がる今日の来馬河原は、かつては美田地帯として知られ、街道往来の宿駅として重き をなした来馬宿は、役場・学校などとともに、その中にあった。                        (松ヶ峯に立つ村立解説掲示板より)  稗田山は来馬集落の西側に位置し南北方向に尾根が伸びる山であるが、この山が幅4キロにわ たって大崩壊した。このとき崩落した土砂は1.8×104km3 と推定され、姫川まで押し出した土砂 の厚さは60mにもおよび、姫川は堰き止められて上流2km にまで達する巨大湖が発生した。  江戸、明治時代の来馬集落は今でも20mをこえる土砂の下に当時のまま埋まっているのであ る。姫川流域ではたびたび大雨や雪解け水等による洪水や土砂崩れが起き、尊い人命が繰り返し 失われている。
     松ヶ峯から稗田山方面を望む。    (宮坂 晃)      
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