善光寺地震の山崩れ
 1847年に生じた善光寺地震では水内郡下の数え切れないほど多くの場所で地滑りや山体崩壊が 発生し、甚大な被害が出た。これらの中でも、長野市信更町の岩倉山(虚空蔵山)と中条村の虫 倉山で発生した地滑りはその規模や被害の大きさから、最大級の崩落といえる。


  岩倉山は信更町安庭の東に位置する山である。  地震の際はこの山の南東斜面、南西斜面、北西斜  面の3カ所で大規模な地滑りが発生した。これら  のうち、南西斜面で発生したものがもっとも大型  であった。   写真は、この南西斜面で発生したものの遠景写  真である。(中条村 上長井付近から撮影)   写真からも地滑り特有の馬蹄形の地形が認めら  れるが、三方から大崩落した土砂は多くの集落や  田畑を巻き込みながら崩れ落ち、下を流れる犀川  を19日間にわたってせき止め、上流側(写真の  右側)に32キロにわたる巨大な湖を発生させた。   その後、この自然堤防は決壊し、下流に二次的  な災害をもたらした。  崩落地の中央部に’涌池’と呼ばれる池があるが、 地震と同時に地面のあちこちから水が噴き出し、こ れが被害を大きくした、と古い記録は伝えている。  この池の湖底にも古い民家が眠っている。
  虫倉山は中条村と鬼無里村の境界部に位置する  山である。山体の上部は固い凝灰角礫岩(荒倉山  火砕岩層)から成り、ごつごつした山容を示して  いる。一方、下部は柔らかい砂岩などから成り、  両者の境界部あたりの岩石が山のあちこちで崩落  した。(岩肌の黒い部分が凝灰角礫岩、白い部分  は砂岩)写真で示した崩壊は、直下にあった太田  集落の住民を全滅させてしまった。今でも古い材  木が工事現場などから出てくるという。

<参考文献> 善光寺地震災害研究グループ(1984)善光寺地震と山崩れ    (宮坂晃)

● もどる ●