釜無川に沿って
 長野県(富士見町)と山梨県の県境を流れる釜無川は南アルプスの鋸岳(のこぎりだけ)から流 れ出し、山梨県に入って富士川となる。この川は非常に浸食量が多く、川に構築されているあまた の堰堤はすべて満杯となっている。釜無川は地質学的には秩父帯と四万十帯を区切る大断層「仏像 糸川構造線」による構造線谷である。大きな断層の近傍では岩石が破壊され、浸食に弱いので地形 的に谷となりやすいのである。  仏像糸川構造線(仏像構造線)は、中央構造線の南側をほぼ並走している大断層で、九州の南端 から始まり関東山地まで延びている。長野県下では佐久から南信濃村までを縦断していながら、こ の大断層を観察できる場所はごくわずかしかない。
  ↑       ↑         ↑  甲斐駒ヶ岳   鋸岳       釜無川 上の写真は原村からの釜無川方面。釜無川の北西側(谷の右側)には秩父帯に属する釜無層群 (中生代ジュラ紀)が分布し、南東側(谷の左側)には四万十帯に属する赤石層群(中生代白亜 紀)が分布している。一般に釜無層群は、その南縁、つまり仏像構造線付近には石灰岩が広く分 布しており、一方、赤石層群は主に砂岩泥岩互層から成っている。釜無層群の地層の走向が仏像 構造線と平行なのに対し、赤石層群の地層の走向は仏像構造線と斜交している。
 (写真左)国道20号線から離れて釜無川に入るとすぐに釜無層群の花場石灰岩の大岩塊が見え てくる。石灰岩は、泥質岩と互層しているか、又は泥質岩の中にブロックとして取り込まれた産状 (写真右)を呈している。
 四万十帯の地層。主に砂泥互層 から成り、チャート層や石灰岩層 を時々挟む。写真の砂泥互層は劈 開が発達している。
 かつてはこの釜無川沿いを通る林道脇にいくつかの仏像構造線を観察できる好露頭があったよう だが現在はほとんどコンクリートが巻かれてしまったため見ることができない。写真の露頭は最終 の林道ゲートから歩いて2時間ほどのところにある。写真のなかの黄色い矢印の間が仏像構造線で 断層は東に60度傾斜し、断層の下側(下盤側)が秩父帯に属する青灰色の石灰岩で、上側(上盤 側)が、四万十帯の砂泥互層である。断層破砕帯が数十m存在し、特に断層付近は1mほどのグー ジュ(断層粘土)が挟まっていて、この延長上がケルンコルとなっている。写真だけだと、正断層 のように見えてしまうが、実態は低角の逆断層(スラスト)が、後の地殻変動によって傾斜方向が 逆になってしまったものである。                                       (宮坂 晃)
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