八ヶ岳(3)韮崎岩屑流
 富士見町の国道20号線を山梨方向に走ると立場川あたりから左手の方向に丘陵が延々と続く。 この丘陵の崖には灰褐色で層理のよくわからない堆積物が現れているが、これは昔は「韮崎泥流」 と呼ばれていた地層で、先端はこのまま山梨県の甲府市の南まで達している。  泥流は、火山の水蒸気爆発などにより山体が崩壊したり、火山噴火によって氷河が溶けて洪水が 発生し、膨大な量の岩塊や土砂が一気に火山の麓に流れ下って堆積したものである。泥流というと 水の介在を想定させるが、「韮崎泥流」の場合は、火山山体の岩塊が山麓の土砂を巻き込みながら 下り降り、水が介在しない乾燥した状態で堆積したことが判っている。このようなものが、噴火時 の高温の状態を保ったまま流下すると「火砕流」と呼び、低温の状態だと「岩屑流」と呼ぶ。 「韮崎泥流」は低温の乾いた流下物であったことが判っており、正確には「韮崎岩屑流」と呼ぶの が妥当であるらしい。写真は山梨県上教来石付近で南東側を向いて撮影したもの。左側の崖が 「韮崎岩屑流」の堆積物。遠景が富士山。
 (上左)泥流や岩屑流の堆積物は、火山山体を構成していた溶岩や凝灰角礫岩の互層から成る硬 い岩塊の部分と、それを包み込む柔らかい基質(matrix)の部分から成っているが、周囲の柔らか い部分が侵食され、硬い部分が露わになってきたものを「流れ山」と呼んでいる。韮崎岩屑流堆積 物中には、さしわたしが最大500mにも及ぶ流れ山が多数存在する。この流れ山は平べったい形の ものが多く、水平にごろごろ回転しながら流下してきたことが、古地磁気の研究から判ってきた。  これは流下時の模式図。  (上右)国界橋付近の韮崎岩屑流。写真の上部、灰色の部分が韮崎岩屑流で、下の薄い黄色い部 分は教来石礫層と呼ばれる第四紀の礫岩層である。この礫層の上に重なっている様子が観察できる。 このようにして、周囲の地層との関係から岩屑流が発生したのは第四紀更新世(25万年前頃)と 考えられている。
        ↑    ↑             ↑      ↑           阿弥陀岳  赤岳            権現岳    編笠岳  韮崎岩屑流堆積物の容積は10立方キロメートルを超え、比類無き日本一の大岩屑流である。 この岩屑流はどこから来たのであろうか?  中に含まれる火山岩は、八ヶ岳の権現岳付近に現れている火山岩と同質である。従って、この辺 りで何かの原因で火山山体の大崩壊が発生し、甲府盆地方向に向かって30キロメートル以上も流 下していったのである。  <参考文献>   三村弘二(1985)八が岳韮崎岩屑流,月刊地球73,海洋出版   八ヶ岳団研(1988)八ヶ岳山麓の第四系,専報/34 (宮坂 晃)
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