野尻湖
    野尻湖は長野県第2位の面積を占める湖で、湖水が東側の斑尾山の山襞の中に入り組み、その形から ”芙蓉湖”とも呼ばれている。湖の西側には黒姫山があるが、この山から発生した岩屑流が川を堰き止 めて湖ができたとされている。国道18号線は湖の西側のやや高台(仲町丘陵)を通っているが、かつて は丘陵の東西両側の低地に湖が存在し、もっと大きな湖だったらしい。(写真↓)野尻湖と斑尾火山 
   この野尻湖の名を一気に全国に知らしめたのが、湖の近くに住む加藤松之助さんが湖畔の立ヶ鼻で 1948年に発見した”湯たんぽの化石”だった。  形が湯たんぽに似ていたこの化石は実はナウマン象の臼歯の化石であった。ナウマン象は、かつてド イツから日本に来て象の研究を行ったエドモンド・ナウマン氏の名をとって命名された象で、新生代第 四紀の中頃(約40万年前)から終わり頃(約2万年前)にかけて日本に生息していた。
   化石の産出した層準を正確に決定する 目的で、1962年から発掘調査が始まった。  この発掘方法は、日本では他に例のな い大衆発掘と呼ばれる方法で、「野尻湖 友の会」という組織に入会すれば誰でも 発掘に参加でき、日本全国から古代ロマ ンを求める人々が多数参加した。発掘は これまでに周辺の発掘も含めて20回ほど 行われている。そして、発掘の早いうち からある重要な関係が指摘されていた。 (写真←)発掘が行われる立ヶ鼻
 その関係とは人間と象の関係である。 象化石の散乱状態や同じ層準から発見された 石器などから、ある仮説が生まれた。 そして、動物の骨を加工して作られた「骨器」 などが発見されるにいたって仮説は確かなも のとなった。その仮説とは、 「野尻湖は古代人による象などの大型ほ乳類 動物の狩り場(killsite)だった」 というものである。 (写真→)ナウマン象の親子と人間の親子。 ナウマン象は背丈約3mで平たい頭と曲がっ た牙(切歯)が特徴的。


 氷河期の最も寒い時代に、古代人は 象を狩って飢えをしのいだ。しかし、 こうして日本全国に多数生息していた ナウマン象は古代人の乱獲に遭って絶 滅していったのである。 立ヶ鼻には発掘の成果を一同に集め た野尻湖博物館があり、4万年前〜 2.5万年前のキル・サイトの状況証 拠 植物・昆虫化石、石器、地層の剥 ぎ取り標本など、大変貴重な標本を見 ることができる。 (←)野尻湖発掘の様子。野尻湖層の 中に多数の包含物が存在している。 <参考文献>    野尻湖発掘調査団(1986)一万人の野尻 湖発掘,築地書館 地学団体研究会長野支部(2004)長野の 大地,ほおずき書房 信濃毎日新聞編集局(1992)信州すと〜 ん記 (宮坂 晃)
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