岡谷市の土石流
 2006年7月15日頃から、梅雨前線が中国・北陸・中部地方付近に停滞し、長野県でも 諏訪地域に豪雨をもたらした。(平成18年7月豪雨と命名された)この雨で18日から19 日にかけて島根県や長野県などで人的被害や家屋の損壊が発生したが、特に長野県の被 害は大きく、全国で20名だった死者・行方不明者のうち、岡谷市、諏訪市、辰野町だけ で9名を数えた。この災害の原因の多くは大雨が引き金となって発生した土石流だった。

(写真↑)岡谷市内で最も被害の大きかった湊地区。(長野県 危機管理局より) 道路が河川と化し、水が引いた後は1m近い土砂で家々が埋め尽くされが、県職員、教 員、県外のボランティアの人々が連日スコップ、ジョレンを手に集まり町を掘り返した。  土石流は大量の雨が降った際に谷の表土が崩れ落ち、泥・岩石・剥ぎ取られた樹木な どが渾然一体となって下流に流れ下る現象で、次々に表面の物体を巻き込みながら成長 し、破壊力がきわめて大きい。  岡谷市は諏訪湖の西部に位置し、周囲の山は塩嶺累層から成っている。この塩嶺累層 は糸静線の活動に伴って破砕が著しいうえに、熱水の活動も相まって岩石の風化が進ん でいる箇所も多い地域である。また、植生が、根の浅いカラマツ林が多く被害を大きく したといわれている。

(写真↑)岡谷市北部、上の原小学校も学校の真上の沢で土石流が発生し、おびただし い量の土砂や木材が校舎内になだれ込んだ。土石流が発生した沢の上流から下流を望む。

(写真↑)小学校の体育館や教室の一部は1m近い土砂で埋まってしまった。体育館の 強い鉄骨のフレームは曲がり、ねじ切られ、破壊力を物語る。

(写真↑)小学校の黒板の書き置き。この小学校も、教員やPTA、地元の人のボラン ティア活動により、土砂がすべて手作業によって取り除かれた。

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