長野県西部地震(王滝村)
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1984年(昭和59年)9月14日午前8時48分、長野県 王滝村を震央とするM(マグニチュード)6.8の地震が 発生し、「長野県西部地震」と命名された。 震源の深さは2kmと浅く、直下型地震と言えるが、 地震断層は地表には現れなかった。 余震の分布から、長さ15kmの北東−南西方向と、こ れと直交する長さ5kmの北西−南東方向の2方向の地 下の断層が活動したことが余震の観測から判っている。  左図は松代地震観測所で観測した余震の記録。 ほとんど大地が揺れっぱなしであったことが判る。
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地震の前に降った雨の影響もあって、 村内の各地で土砂崩れが多数発生した が、最も大規模だったのが御嶽山の崩 壊である。  伝上川上流部にあった御嶽山の尾根 の一部が大崩壊し(高さ2500m付近) 崩壊した土砂は土石流となって尾根を 乗り越え鈴ヶ沢や濁川にも流れ下った。  土砂崩れの際に、急な斜面では、崩 れ落ちる土砂が水や空気を巻き込んで、 土砂が半分浮かんだ状態で、非常に高 速で下り落ちる。このようなものを粉 体流という。すざまじい勢いの土砂は 樹木を根こそぎなぎ倒し、いくつかの 尾根を降り超え、流れ下った。目撃者 等の証言から、このときの速度は時速 80キロ以上と考えられている。  崩落した土砂の量は3600万立方bと 見積もられ、沢沿いにあった温泉旅館 の方やキノコ採りにきていた人など十 数名があっという間に犠牲になってし まった。写真は崩壊源頭部の様子。 (旧林野庁王滝営林署のパンフレット より)
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 濁川と王滝川の合流部。 土石流はこの尾根の反対側から流 れ下ってきて、この尾根を乗り越 え王滝川を埋め尽くした。ここか ら下流側の王滝川は膨大な土砂に よって埋め尽くされ、このために 上流側には深さ30〜40mの天然の 湖が出現した。尾根に取り残され た数本だけの樹木が印象的だ。
 王滝川日向淵付近の様子。(ステレオ写真) 【眼の筋肉を緩め、画面に眼を近づけ、中央にできた画像を見ながら距離を離し、この画像 に焦点を合わせる。画面から40cm程度離れたところで立体画像が現れる】  ここでは10m以上の高さまで樹木がはぎ取られている。また、その後の川の浸食によって、 崩壊堆積物が2mほど削られていることが見て取れる。(写真は地震発生後2ヶ月後に撮っ たもの。)
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 地震によって王滝村松越地区でも大規 模土砂崩れが発生した。段丘堆積物層の 上に建っていたこの住宅は半分が崩れさ ったが住人の方は奇跡的に助かった。  この土砂崩れの崩壊土砂が谷の向かい 斜面を駆け上がり、そこにあった生コン 工場を直撃して、仕事が始まったばかり の工場に勤めていた13名の方が亡くなっ てしまった。
 松越から崩壊源頭部を望む。 御嶽山は火山で、この地震の5年前の1979年に数千年の沈黙を破って有史以来初めて噴火 した。火山の寿命は数万〜数百万年に及ぶので、有史以来噴火の記録がなくても活動が完 全に終了したとは見なせない。地球の営みを人間の尺度で測るのは無理がある。写真でも 噴煙が写っている。また、この時の噴火と、地震との因果関係ははっきりしていない。  火山の山体は火山噴出物(溶岩や火山砕屑物)が積み重なってできているが、この地震 では、崩壊源頭部の尾根に存在していた5万年前に噴出した黄色い軽石層が、すべり面に なったと言われている。軽石層が大量の雨水を含んで柔らかくなって、さらに地震の振動 によって液状化したと考えられている。   <参考文献> 信州大学自然災害研究会 (1985) 昭和59年長野県西部地震による災害 林野庁大滝営林署 (1985) 長野県西部地震    改訂長野県地学のガイド (2001) 降幡和夫編   信州の地震と防災(2004)信州大学放送公開講座研究グループ                                           (宮坂 晃)
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