豊野の南郷背斜構造

    長野市北部から飯山市にかけて豊野層と呼ばれる新生代第四紀の地層が広がっている。 この地層にはシジミなどの淡水棲の貝化石が含まれており、湖に堆積した地層であることが判る。 (長野高校地学教室に、豊野層を研究された富沢先生や長野高校地学班の集められた化石が数多く 保管されている。)  フォッサマグナ地域が一度陸化した後、今から60〜70万年前頃になって長野市の西山地区が隆起 を始め、相対的に長野市〜飯山市にかけてできた凹みに水が溜まり、広大な湖ができ、この湖に堆 積したのが豊野層だと考えられている。従って、この地層は長野盆地の形成時期を教える地層であ る。長野市北部に分布する豊野層は多くの場所で東側に急傾斜していて、特に豊野観音山では「観 音山麓豊野層褶曲構造」という名で、天然記念物に指定されている。(下写真:観音山の写真)

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   観音山文化財看板の後ろでは東側に急傾斜した地層が見られる。これは地下にある断層が動き、 西山(写真の左側)が隆起し、相対的に盆地側(写真の右側)が沈み込む様な動きが現在も続いて いるからだと考えられている。  文化財説明看板には豊野湖成層は180万年前と書いてあるが、実際にはもっと新しい。


   同じく豊野の石神宮寺池の北側の崖では、砂泥互層が大きな背斜構造を作っているのが見られる。 この背斜構造は神宮寺背斜と呼ばれている。写真では判りづらいが、西側(写真の左側)では地層 は西に傾斜し、一方、東側(写真の右側)では東傾斜になっているのが観察できる。  先の観音山のものも、この神宮寺のものも昔は南郷背斜と呼ばれていたものである。 豊野層はここよりも西側に広く分布するので、この断層活動は豊野層を堆積させた最初の断層運 動よりずっと東側で起きている、非常に新しい運動である。

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   (上の図説明)南郷背斜の形成過程  西山が隆起し、できた湖に豊野層が堆積する。その後、より東側で基盤の逆断層活動が発生し、 上を覆っていた豊野が褶曲し変形する。                                      (宮坂 晃)

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