第一話




 フィ・デ・ギレオレは確かに目覚めていた、だがそれとここから起き上がると言うは
もはや全く別の話で、起き上がるのか上がらないのかその事で悩んでいた。
ここで目を開け体を持ち上げた時点で何か別の世界が始まる。これは期待などでは無い
少なくともここを発った時点でもうかつての生活には戻れない、そう彼女は感じていた。
 しかしそれは彼女の心の状況であって周りの状況は決してそうとはいかなかった
外では小鳥のさえずりが僅かに聞こえ、太陽の火照りが頬を照らし出している事も事実
である。小春日和と言うのに申し分ない日である。目を閉じたまま顔を下のほうに向けると
ここはベッドの上だろうか、シーツの白さが太陽に反射してその明るさが眼に入った、
早く起き上がりたい・・そう心の中では思っていた、しかし心の何処かではむしろ
起き上がってはいけないと言う念もあり。今この瞬間もその葛藤は続いていた。
 無論、何時かは起きなければなら無い事も解かってはいたがその一歩が踏み出せない
今起き上がらなくて何が変わる?、ほんの数分違いで一体何が変わるだろうか。
どうせ変わらないなら、せめて時を長く過ごした方が良いに決まっている。


 そして・・その体をベッドから持ち上げた、長く伸びた髪がベッドの上を柔らかに擦る。
上体を起こした体形で当りを見回す、窓際のカーテンで区切られた空間にいる様である
目がまだ慣れていないせいか太陽はかなり眩しく手で覆わなければいけないほどだ
その明るさに馴染んで来た時にカーテンが開いた。気配を感じる間もなかった為に
驚いてしまった。そんな様子を察したのか開けた本人も少し間をおいて入るタイミングを
計っている。

「どうぞ・・」

 フィはそう言った。相手も幾分か安心したように感じた。

「それでは、失礼するよ」
 
 そう応えて白衣の長身の男が入って来た、薄々感じでてはいたがこの部屋は医務室らしい。

「自己紹介をするとしようかな、私はテクス・ファーゼンバーグ。ここで見習と言う事で
働いている。君の名前は?」

 当然と言えば当然の手順ではあるが今は医者などの事よりどうしてここに居るのかその事の方が
遥かに重大である。焦りつつも返答をする。

「テクスさん、自己紹介ありがとう御座います、私はフィ・デ・ギレオレと言います。
失礼ですが、ここは何処なんですか?」

 相手もここが何処なのか、と言う疑問を持っていた事に気が付いたようだハッとした
表情でフィを見つめる、エメラルドグリーンの瞳の奥に自分の姿が映っている。

「・・・すまないが此処が何処かは教えられない。だが、ここが軍事施設だと
言う事は承知しておいてくれ、これ以上は私の口からは言えないし、どうして
此処にいるのかと言う事も教えらない・・許してくれ。」

 冗談ではなく真にそう言っている事が解かるのにそう時間はかからなかった
こう釘をさされてしまっては他に返答する方法も無い、だがそれなりの理由があって
ここに居る事が解かった、それ以上の事は解からないがここで過ごして行く内に
それも解かる事だろう。

「解かりました、テクスさんは医者の卵なんですよね?専門は何処なのですか?」


「専門分野は特に決まってないんだ、軍医だからある程度均等に担当しなくちゃ
いけないからね、けどあえて言うなら精神的な所が長けているかな?まぁ、軍医は
大抵の人がその分野を伸ばしてるから・・」

 苦笑しながら答えるテクス、どうやら他に専攻したい分野があったらしい
或いは精神面を受け持つ医者が多いことに困惑しているのかもしれない。
 
 MSが戦闘の主役に代わるようになってから医者の役目も随分変わった
空間戦闘においては怪我をする率よりも、むしろ死亡してしまう率のほうが高くなった。
その為兵士のメンタル面を看護する医師の割合が高くなったのだ。

「そうなんだ・・・今幾つなの?私は14。」

「ハハハ・・何でも話すんだね、私は今年で19になる。」

「まだ20歳じゃないんだ・・・」

 そう言いながら胸の方に手を当てる、ここが安全な場所だと理解で来たらからである。
何時も安心するとこうする、不思議とゆったりとした気分になれる

「意外かね?言われ慣れている事だからそう気にはしないが・・」

「話すのって良い事じゃない?・・・・!!!!」
 
「ん?・・どうしたんだ?」

「私の・・私の・・私のペンダントは何処なの?・・教えて?」
 
 怯えた眼でテクスを見据えるフィ、その体はガタガタと震えている
安心を得る物ではなくそれがなければ駄目な関係を築いている
その様子を観察するテクスの瞳にはそれでも冷静な態度が見れる。
これがもう少し医者として訓練する時間が無ければとてもこうはいかなかった。
年月と経験とが彼を成長させていた、まだ未熟だが精神面での安定はかなりのものだろう

「・・・・そこだ、そこの上に置いてあるだろう?」
 
 そう言うと今もフィが腰掛けているベッドの先を指差す、小物が置けるそのスペースに
日光を反射し輝いているペンダントがあった。それを確認するや否やまさに飛びつく
フィ、それを手にとった後も暫くは震えていたようだが、それも直ぐに収まり
振り向くと今までの事は忘れたかのようにカラッとした表情がそこにはあった

「御免なさい、私これが無いと駄目みたいなの」
 
 幾分照れながら応えるフィ、今日だけに限った事では無いようだ、その手には
真中が潰れたペンダントが握られていた、潰された側面は既に錆び付いてはいるが
それでも磨き直そうとした痕跡が残っている。何故潰れてしまったのかそれは定かではないが
少なくとも彼女にとって大事な者である事は一目わかる。苦笑いしながら手元の紙に
覚え書きを記入し始めるテクス、

「・・・・グハァッ!!!!」

 叫んだのはフィではないテクスである。余程硬いもので殴られたのだろう、頭を抱えながら
倒れこむ、その背後には彼よりも2周りほど小さい白衣の人物が立っていた何かあったのだろうか
髪型はアフロ気味である。手には小さなハンマーが握られている。どうやら縦に殴ったのではなく
横から振り上げて殴ったようである、痛いはずだ。

「Dr.タカアキ・・・」

 眼を半開きの状態のままその医者を見上げるテクス、タカアキと言われた医者は
やれやれと言った表情でテクスを見下している。

「驚かして悪かったね、お嬢ちゃん」

 医者を殴った時とはガラッと変わった紳士的な態度である。さっきの出来事といい
別の意味での不安ばかりが積って行くフィである。

「此処に居るのも疲れただろう?、少し外を見て来るといい、時間はふむまだあるな
これを持って行くと良い、迷う事も無いだろう」

 そう言うとカード状の物を取り出しフィに手渡した、手術でもやっていたのか
両手には手袋がはめられていた。それを嬉しそうに受け取りあっと言う間に
入り口まで駆けて行ってしまった。

「それじゃあ、いって来ま〜す。」

 そう言いながら手を振りながら医務室を出て行ってしまった。後にはテクスと
タカアキ・コバヤシのみが残った。

「あの・・・少女」
 
 テクスがそう切り出した、フィの姿に何か感じる物があったらしい

「・・・言うな、私達は医者だ。医者は患者が頼った時に患者の手助けをする
それを無くして補助を入れれば研究者と同じになってしまうぞ?」

 若者が何を言おうとしていたかを察する様は流石である。その言葉には
この時代そのものへの皮肉とも言えるだろうか。ありとあらゆるものを
実験と同じように端から端まで研究比較する。既に6回、そして7回目となっている
この戦争を終結させるには何が必要か、その為の研究とは言え医者として・いや
人として見た時にも非人道的な兵器が生まれていた、それの象徴が月にあると言われる
D.O.M.Eなのかも知れない。

「解かりました、Dr」

 彼自身タカアキを慕っていた、欲を出さずに出来る事を出来る分だけやる。
彼の医療には自身の技量よりも患者を信頼しての治療例が多く自分もそれを
見てきた、自分の能力なら充分治せる症例でも患者の容態を見てその少し手前で
治療を止める。人の身体に対する尊厳がそこにある。医療技術が幾ら発達しても
結局治すのは生態的な力によるものだと言う事を熟知していた。今のテクスに
それだけの力は無い。

「それで良い、危うく君まで嫌いになってしまう所だったよ」

「その言葉ならもう何度も聞きましたよ、Dr」

「すまない、半ば口癖になってしまったようだ、いけないな」

「いえいえ・・彼方の言葉で私自身成長できたと思います。」

「この老い耄れが気がつかない間にそんな事を教えていたのか・・」

 彼自身それ程老いている訳でもないが、これまでに年齢以上の物を
経験してきたのだろう。半ば人生に終わりを感じているのかも知れない。

「Dr・・・あの事はどうしましょうか」

「私もそれを考えていたところだ、恐らく今も・・・」

「ええ・・・・」







 ついさっきからタカアキから貰った立体地図を操作している。使い方自体はそれ程
難しくも無いのだが、動作反応がとてつもなく早く、せかせかしているフィの操作とは
一致せず中々出したい画像が上がらないのだ

「困ったなぁ・・・」

 頭を掻きながらそれでも素早く手を動かす、当然の如く画像は目まぐるしく動いていく
機器の扱いには慣れているが、かえって変になってしまうというジレンマから抜け出せずにいた
半ば寝巻き姿で裾をズルズルと引き摺っているのだがそれにも気がつかない様だ

「もう良い、勘で探す!」
 
 そう言うと地図を目線から降ろし廊下をひたすら直進をはじめ、あった階段を上に上っていく
軍事施設だけあって階段をのぼって直ぐ階段があるという訳でも無いので同じ場所を行ったり
きたりしている感覚になる、無論同じ場所である筈も無いのだがだがその事を疑ってしまうほど
この施設の構造は何処でも同じでように映る。

 しかし、幾ら構造が複雑でも階段を上って行き着く先は・・屋上である。


「うわぁ・・屋上だ・・行こうかな、どうしようかな・・」

 上へ上って来たのだから此処へ行き着くのは当然の事だったがいざ行くなると中々いけない
何故だろうか自分でも解からない、嫌では無いむしろベッドの上で感じた景色を感じたいと思った
一段一段と階段を上る、流石に屋上への道は一本道であった。


「うわぁーーー広〜い」

 そう思わず口にしたのも解かるほどそこは広かった、フェンスが張られていない分更に広く感じる
太陽は既に南中し西の方向へ傾いている。

「海?・・・海だよね!」

 屋上の向こうには水平線まで続く大きい水溜りが止め処も無く広がっていた。設備の北側には
峰が見え針葉樹に見える樹木が、雪に囲まれたこの土地をより幻想的な景色にしていた。

 危なっかしい足取りで南の方向へ向かう、海風なのか強風が時折吹き足元さえ覚束なくなる
そんな中をゆっくりと歩くフィ、長く伸びた髪が風にあおられて後ろへ流されて
着ている服も強風のせいで肌に張り付き、何とも言い表せない気分になる。
そんな気分はなってみると中々良い物である、もっとその風をうけたいと思って両手を
大きく横に広げる・・・風はまだまだ強く身体を揺らす、だがそんな事は
この心地良さには関係がなかった。この空間にいる事を喜んでいた、身体をグルグルと
回転させながら、施設の端へと向かって境目無き境目へゆっくりと腰をおろす。
よく見れば太陽の横に半月に近い月が浮かんでいる、夜の月とは違う別の月そして
この風、当たる陽光。全ての風景を感じながら時を過ごす、







永遠とも言える時間の流れ・・・・








「中継衛星、月の機動ルート内に入りました、マイクロウェーブ送電可能時間まで
後300秒です。」

「了解、緯度並びに経度の微調整に入る、総員に退去指令を」

「了解しました、レベル4を設定、避難命令発令します。」


   

   
 『緊急警報を発令します。後276秒でこのエリアはマイクロウェーブ送電
実験に移ります、総員速やかに屋内へ避難して下さい。繰り返します。
後265秒でこのエリアはマイクロウェーブ送電実験に移ります。総員
速やかに屋内へ避難して下さい。繰り返します・・・・』



 けたたましいサイレンが施設一帯に響き渡る。勿論フィの耳にも届いている、
だがこの心地良い空間は時間は誰にも譲りたくなかった。その思いが
警告サイレンを頭の奥まで届かせようとはしなかった。










「マイクロウェーブ送電送電可能です。」

「緯度並びに経度誤差修正完了しました。」

「よしっ・・マイクロウェーブ送電開始!」

「了解、レーザーガイド開始します。」










「光・・・・?」

 昼の月から放たれた光は青い空と交わって詳しくは解からなかった、だが光の矢が
青い空を貫きこの地表に近づいている事は理解できた。最初真っ直ぐにこちらへ
向かうと思っていた光の矢は緩やかな軌道を描いて東の岸へと向かっていった。
視力はあまり良くないが光の先にキラキラと反射する何かがあった、
その元へ光の矢は向かい・・そして消えた









「マイクロウェーブ地表到達まで4.07秒です」

「エネルギー充填を確認、パーセンテージ表示、開始します。」

「30、42、80、98・・・エネルギー振り切れます!!」

「いかん、実験中止、接続オール解除!!!」

「駄目です間に合いません!、炉心温度急激に上昇!、冷却プラントオーバーヒート
しています。第一、第三、冷却施設使用不能です。炉心温度尚も上昇中です。」

「爆発まで予測27秒です。」

「・・・・駄目か・・、第二、第四、冷却プラント一時閉鎖、爆発後に備え
各実験場から冷却路線を確保しろ・・以上だ」

「爆発まで後4秒です。」

「爆発します・・・。」







それは、爆発と言うよりむしろ消滅に近かった、白熱した閃光の中で風が
一斉に東へと向かう、水は水蒸気に状態変化を起こした蒸気が
青い空へ舞っていた・・・。