「河の終わる場所、と言うのを知っているかな。その先には何処までも続く大海。 陸と海を分ける場所。思いを隔てる場所、そして。終わりの場所、はじまりの場所。 汚れた流れに別れを告げ、大海原へと向う場所、海へと至る場所。 けれど海と河は繋がっていて、境界は曖昧になっている。海も同じく汚れているかも知れない、 僕達は今そんな場所、河の終わりに立っているんだよ」 彼は続ける 「君はただ無知だっただけなんだ、無知と言うのは罪というけれど、これはまた少し違う気がする ただ、無垢とは無知と言うことなんだ、それは憶えていて欲しい。 真相は常に正面にあった、それに気がつかなかっただけ。それ故に無知を理由には出来ない 戦場と銃後は決して別世界の出来事じゃないんだよ、それは解かっているね 結果、そういうことになっているんだ。だから、君は殺された方が普通だったんだ 何の因果かこうして生きて帰ってきたけれど。けれど、だからと言って死に急ぐことは無いよ むしろ、しては絶対にいけない。これからはもう無垢ではないんだ、 何をしたいか自分で考えて生きるんだ。もし、辛くなったら何時でも帰ってきていいよ、 君が望めばここが君の家になる。どんなに世界が君を拒絶しても、僕は、僕達は受けいれる。 同じ仲間だからね、また笑顔で会えることを願っているよ」

第10話




「全治何ヶ月くらいだったかしら、Dr」

包帯に覆われた左手を見ながら彼女はそう尋ねた。

「全治、二ヶ月半って所だな、当然その間の操縦はご法度だぞ」
「わかってる」

半ば諦めの表情、左手は包帯に覆われている。そのまま視線を落とすと脚も同様の状態だ。
鎖骨に折れてはいないが皹より酷い状態になっていたとの事で手術を受け包帯が巻かれている。
近く、補強の為にもう一回手術を受ける。

「機体のほうは」
「私の管轄じゃない」
「そうだったわね」

苦笑し立ち上がる。

「彼女のほうはどうなの」
「フィか、レナか」
「フィのほう、レナの方はそうでもないんでしょう」
「全然そんなこと無いんだが。フィの方はまだ眠れていない。一応話せるようにはなったが」
「今日で4日目ね、感情的なのが来たみたいだけど」
「血気盛んなのは良いが、事が事だ」
「話しても大丈夫なの」
「君なら問題無いだろう」
「誰か来たの」
「新しい指揮官がな、何か言ったようだが」
「まだ、私のところには来てないわね。一箇所に集めればいいのに、変わった人ね」
「召集する時間が無いんだろう。名前はミサキ・クサナギ、階級は大佐。いや、特進して准将か」
「結構な身分ね。ありがとう、それじゃあ行ってくるわ」
「終わったら言ってくれ」
「ええ」

白いカーテンを潜り、ベッドの傍らに立つと彼女は耳栓を取って傍らの机に置くと
いつもの調子で話し掛けてきた。首には銀色のペンダントが光を放っている。

「やっほー」
「元気そうね」
「うん、ちょっと不憫だけどね」

着ている物は寝巻きではなく戦闘時のままのパイロットスーツで、
その両手両足はゴムのような物でベッドにつながれている。

「座っていい?」
「うん」

パイプ椅子を持ち出し、隣に座る。気丈に振舞ってはいるがその顔には疲労の色が濃いように見える。

「お腹すいちゃったな」
「でしょうね、何が食べたいの」
「うーん。硬い物、かな」
「例えば?」
「例えば、リンゴとか、果物」

物を食べられない状況ではないのだろうが、
スプーンでもフォークでも折れてしまってはどうしようも無い。今は栄養を点滴されている。

「今はつながれてるからそうでも無いけど、目がさめたときは酷かったんだから」

と苦笑いしながら、手を翳す。負荷は結構かかっているはずだが全く気にかけていない動きだ。

「サインするにも苦労したんだから、鉛筆も端から折れちゃうし」

そう言った彼女の視線の先には途中から折れた鉛筆が数本転がっている。

「私も、それほどよくはないわね」
「その手を見れば解かる、お互い大変だね」
「ええ、全く」



「あのね、ルーン」

ちょっとの間を置いてフィが話し掛けてきた

「なに」
「うん、ちょっと気になったことがあるの。私のこの身体って、私のなのかなって」
「それが自分のではないっていうことなの」

「そんなことないのはわかってるけど、けど、変じゃない
自分で自分の身体を制御できないなんて、信じられる?」

うつむき加減になり、彼女の瞳が見えなくなる。
まもなく、小さな嗚咽と共に彼女が泣いていることがわかった。

「それに、ずっと眠れないんだよ、昨日からずっと」

それは嘘だ。彼女は4日間寝ていない。

「大丈夫、あなたはあなたよ。私はそう思うし、きっと皆もそう思うわ」

思いつく言葉がこれしかなかった、随分古臭い台詞だ。

「ありがとう」

顔を上げた彼女の眼はまだ潤んでいた。

「今日はもう帰るわ」
「ありがとう、ルーンは大丈夫だよね」
「ええ、直ぐによくなるわ」

Dr.に面会が終わったことを継げて部屋に戻る。



ベッドに腰を降ろし、自分の左手を明りに翳す、
ひょっとしたら光が透けるかもしれない、そんなことを思った。

「大丈夫。なんて聞かれたら、大丈夫って答えるしかないじゃない」

と苦い表情をする。キナにもそう言われたのでこう返した所だ。
同じ苦い顔をして、悪い。と言っていた。
一息つくとカーテン越しに人の気配がした。
今までに感じたことの無い気配だ。

「どうぞ」
「失礼するよ」

入ってきたその男は白いパリッとした制服と白い手袋を着用し、腰にはサーベルがさされている。
そして、黒い髪と瞳を持っていた。
数日前に会ったあの司令官にこころなしか似ている。ただ、何処かで決定的に違う。

「はじめまして、君達の直属の隊長に任命されたミサキ・クサナギ准将だ。以後よろしく」

と、にこやかに挨拶してくる。

「初めまして、私のことは知っているから説明は不要よね」
「そう、その必要は無いよ。君の機体は中波扱い、補給も無いから既存でなんとかしなくちゃいけない」
「いきなりね。今の話本当なの」
「君に嘘を言う理由が無い。漏洩はしないで貰えると助かるけどね」

普通はこう言う事は言わない。変わってはいるようだ。

「言う理由が無いわ」

「助かる。とにかく、相当厳しい状況だよ」
「それで、私にどうして欲しいのかしら」
「どう言うと、思っているんだい」
「大人しく指示に従えって、所かしら」
「正解。けれど、それは大前提だよ」
「そう」
「けれど、それも答えだよ。傷の具合はどうかな」

雰囲気が今ひとつ掴めない、ロールしていると言う事だろうか。

「気分はあまり良くないわね」
「麻酔は使っていないんだろう」
「ええ」
「その気持ちはわかるな。誰と接触したのか知らないけれど、手痛い損害だね」
「そうね」
「ただ、気になったのはどうしてそう言う事になったのか、だよね」
「違いないわね」
「軍規には煩いよ、真面目だからね」
「守れないようなら、例えば」
「ベッドの中にある銃をつきつけてみるとか」
「例えば、そうね」

スッと右腕を向ける、当然撃つ気は無い。彼もそれはわかっているのか
やや笑ったような顔のままだ。

「この距離なら君が撃つ前に確実に反応できるよ」
「けれど、もしもう一つ用意しているとしたら」
「可能性は無いと思うな、そんな状態で銃なんか撃ったら再起不能になるよ」
「再起不能になってもいいような状態だったら」

つまり、そうなった方が楽になるという場合を示している。
無闇に口を出すなという小さな脅迫だ。


「全く、軍と言うのは直ぐに抜きたがるのが多くて困る」


「そう言う僕もその一人なんだけど」

額に風を感じると髪が数本舞い落ちる。
彼の方に目を向けるとナイフを懐にしまうところだった。

「相応の処置を、施すよ」

と笑顔で答えた。

「あなたを信用してもいいのかしら」
「君がどうするかは自由だが、僕は君達の事は信用はするが信頼はしていない」
「そう言うことなのね」
「そう言うこと、それと君はコロニーから来たんだったよね」
「ええ」
「なら、もう少し頑張って貰わないとね。あらぬ疑いをかけられるのは本意じゃないだろう」

「そうね、努力するわ」
「期待しているよ、それじゃあ宜しく」
「こちらこそ」

彼は白い手袋をとり握手を求める、私はそれに応じて
お互いに握手して別れる、大きさ以外は自分と何ら変わらない手だった。







彼は3枚の書類を見つめていた。それには幾つかの項目があり、残っているのは1つだけで
それは全てに同じだった、その項目にどう記入するか、それを迷っていた。

「先生」
「君か」
「失礼します」

そう言ってテクスは隣に座った。

「らしくないですね、もう決めたじゃありませんか」
「そうか、そうだったな」

納得したように言い、彼は全ての書類に
条件付参戦可能、とサインした
そこへ細身の男が入ってきた。

「はじめまして、話には聞いてますよね」
「ああ、ミサキ・クサナギ大佐だったかな」
「今は昇進して准将です」
「そうだったな。すまない」
「気にしないで下さい」
「タカアキ・コバヤシだ、こっちはテクス・ファーゼンバーグ」
「よろしく」
「はい」
「今日は何用でここへ」
「彼女に挨拶をと思いまして」
「まだ完全には回復してないが」
「承知してます、不思議な因果です」
「面識は無いのだろう」
「ええ、本人には。失礼しますよ」
「何も無い場所ですまんな」
「この方が好きですよ、僕は」
「コーヒーでも入れます」
「助かります。徹夜のフライトでしたから。それとカルテを」
「やはりな。テクス君、済まないが今日はもう上がってくれ」
「わかりました、お疲れ様です」
「ああ」

「やはり彼女は興味深いな」
「興味深い、か」
「ええ、戦闘結果を見ました。2個中隊を殲滅、初めての実戦では驚異的です」
「あの子には辛い」
「それは全く関係無い、結果ですよ。それにもう、退路は無いんですから」

「そうだったな。それで、興味深いというのは」
「どの敵機も確実に仕留められている」
「当然だ、まさか初陣で4回とはな」
「珍しい事です、意思が強い、と言うのは素晴らしい事です」
「それで」
「ええ、どれも徹底的に破壊している。通常、ありえないことです」

そう言ってカルテを机に置く。

「コックピットのみを確実に破壊するのがこれの目的ですが今回はその形跡が見られない
単なる道の作用が出たか、或いは別の何かが作用したかも知れません」

「今回のようなこと事態が初めてだ、どうとも言えない」
「でしょうね、僕もちょっと驚いています。とにかく彼女に面会してきますよ、私の大事な部下ですから」



「ご存知かと思いますが。我々には時間が無い、そして時間が必要なのでね」


キィと鈍い音がして、人が入ってきた。月明かりに照らされた部屋の中入ってきた彼は
上下とも白い服を着、腰には刀、そして白い手袋をしていた。
彼は明りもつけずに自分の耳を片手でさすった。
つまり、話がしたいと言うことだと思った。
拒む理由もないし、どんな人か気になったので頷いて耳栓を外す。

「こんばんは、調子はどうかな」


「はっ、はい。私は元気ですけど」
「ごめん、名前が先だったね。僕はミサキ・クサナギ。今日付けで君達の直属の上司になったんだ
今日はその挨拶ってこと」

なにか不思議な感じの印象をもった。軍人であって軍人ではないそんな雰囲気だった。

「そうですか、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ」

彼は元々細い目を更に細めて、白い手袋を外して私に握手を求め私もそれに応じる。

「座っていいかな」
「どうぞ」
「何てお呼びすればいいでしょうか?」

一応聞いておかないと後で面倒になりかねない

「そうだね、階級は臨時准将だけど、好きなように呼んでいいよ」



「さて、今日はさっき言ったように君への挨拶と戦果報告をしにきたんだ」

戦果、そう言えば途中から意識が無くなって気が付いたらもうここにいた。
別段やったつもりはないんだけど。

「はい?私、敵機を撃墜した記憶なんて無いんですけれど」

それを聞くと彼は興味深そうに微笑んだ。

「憶えていない。単刀直入に言わせてもらえば、君は敵機を27機と寮機を2機撃墜した」

「えっ、嘘」
「君に嘘を言う必要が無い。君もこれで皆と同じく人殺しの仲間入りって言うわけだ」
「私は殺してません」


「それも全て今までは、の話だ。
君が殺したくない、殺すつもりは無かった、と言っても全く意味は無い、
事実に変わりは無い。まずは認める事から始めるべきだと思うけどな」

「憶えてないんですよ、私は」

「憶えていないなら何をやってもいいのかな、答えはノーに決まっている
刑事上の場合は少し違うかもしれないけれど、ここは警察じゃない。軍なんだ」

月明かりの下、彼は続ける。

「君がどう思おうと勝手だ、ただそう思っているのは自分だけだと言うことを忘れないでいて欲しい。
そう言えば君は教官にこの戦争に異議を唱えたことがあったそうだね、確かに戦争というものは
何時もそう言う陰があるとは思う、前世紀のそれと同じように今回も例外じゃないかも知れない。
ただ、今回は違う。歴然たる事実として君は29人を殺した。これは誰もが認める所だ」

「私以外の誰かがっていうことは」

「ありえない。君が知るはずが無いが陸上運用型には常に監視用の機体がついている
以前に一機だけ逃げられた事があるのでその反省からね。
その寮機を撃墜したのも間違い無く君だ。その事を攻めるつもりはないよ、意図的とは思えないからね
今回の君は暴走に近かった、初めての本格的な実践だったしね。錯乱状態にあっても無理は無い。
だからと言って、何度も言うように事実が変わるわけじゃない。
君が取る道は2つ、イエスとノーの曖昧な境界は存在しない」

「2つ、ですか」

「そう。1つ、端的に言えばここに居続けるかどうか。
詳しく言えば、これからも殺し続け生き続けるか。2つ、それを拒否しもっと酷い場所へ送られるかだ」
「もっと酷い?」
「本当に解かっていないんだね」

彼はまた興味深そうに微笑んだ。

「君にはある種の能力がある、その能力の実体は未だよくわかっていなくて研究する必要がある。
2つ目の選択をした場合、君はその研究を直に行っている機関に送られる事になる。
僕としては1つ目の選択をして欲しいし多少の無理はするつもりだよ」

「けど、人を殺すのは」

「物分りが悪いのはお父さん譲りだねぇ」
「お父様に会った事があるんですか」
「一回だけね、君と同じく頑固で困ったよ。それより、どうするんだい
今この場で決めてもらわないと困る」

「私、私は」
「優柔不断だね、それだったら君は君の仲間たちと一緒にいたいだよね」
「はい」
「それならあここにいるべきだね。それに人を殺したくないのは君だけじゃないんだ
僕だって同じさ。まして君達の仲間が好き好んで人殺しをするわけがない、違うかな」


「言われてみれば、そうかも知れません」
「そう言うこと、君はみんなに嫌な事は出来るだけして欲しくない、そうも思っているよね」
「はい」
「だったら君が先ず手を汚すべきだね、それも一番」



「どうして、と言う顔をしているね。何かを得るためには何かをしなければならない
ノーリスク・ハイリターンは有り得ないんだよ。ハイリスク・ハイリターンで無ければね
例えば君が人を殺す事はかなり嫌な事には違いない。だが、それによって君の友人達は
多少なりとも手を汚さずに済む。そう考える事は出来ないかな。
それに君の機体は突撃戦用だ、その気になれば君一人だけで何とかなる舞台もあるかも知れない」
「それは、そうですけど」

その答えを聞いてミサキはフィの頭に手をおき目を閉じるように言う
かすかな振動音だけが響く中、彼はゆっくりと語り始めた。


「ミサキ、と言う場所を知っているかな」