EWS(シェーナウ村の住民が設立した電力供給会社)の前で |
フライブルクのホテルを9時にタクシーで出発し、シェーナウ村に向かう。同行して通訳をして頂いた前田茂子さん(ドイツ在住38年)より、フライブルクの歴史や環境都市としての施策についてレクチャーを受けながら約45分で村に着く。
ドイツで有名な黒い森(標高1,500mの山脈で東西60k、南北140k)を超えてゆく。
若葉の季節で日本の気候と同じ
車窓から見る景色や若葉の芽吹きは、日本の5月初旬と全く同じである。本当にきれいな風景である。山は整備され、草原も手入れがされており、森林と草原の中にある村である。
10時から、EWS(シェーナウの住民が設立した電力供給会社)の会議室で、ドイツの今までの原発政策の状況や反原発のシェーナウの住民運動の歴史について詳しい説明を受ける。
説明してくれた女性のエイアー・シテーゲンさんは、EWSの広報担当であり、エネルギー担当の博士である。
※EWSは職員70人。資本金1億9千万円でシェーナウの住民を中心に1994年に設立した電力供給会社。
村の高い所にある教会の屋根にもソーラーが載っていた=5月10日 |
ドイツでは、昨年の日本の3・11福島原発を受けて、メルケル首相は、今までの原発推進の原子力政策から、脱原発の自然エネルギー政策へと方針を転換しました。そのモデルなった村がシェーナウ村でした。今回どうしても訪れたい村でした。
・1986年4月26日に起こった、チェルノブイリ原発事故の影響は1.600キロも離れたシェーナウ村にも影響を与えた。子どもたちは外で遊べなくなり、野菜も食べることができなくなってしまった。スュラーデック医師達が中心となり、声を上げ始めた。国に手紙を書いても国からの反応はなかった。
今まで原発の電気を利用していたが、小さな節電から始めようと、エネルギーを考え始めるために、節電コンクールなど小さなことからやり始めた。
電気を使い放題の人には高く、節電している人には安くすべきであるという運動も行ったが、電力会社は無視をし続けてきた。ソーラーや水力、個人エネルギーシステムについても耳を貸さなかった。村と電力会社には送電権・配電権があった。
・1995年にその契約が切れるので、村と住民との話し合いの中では、もう少し契約を待ってもらいたいと要望をしてきた。しかし、議会では今まで同様に原発利用の電力会社に決めてしまった。住民は、その決議に反対して住民投票を行った。
民家の屋根にある「ソーラーシステム」 |
住民はそれぞれが運動を起こした。パン屋さんは、イエス(ヤーハイ)クッキーを作るなど、運動を盛り上げた。
結果は56%が賛成し議会の決議を覆した。住民勝利だった。
・1994年、住民は自分たちで電力会社を作ろうと考え、苦労をしながら、国に膨大な資料も何回も提出し実現した。
・1995年、村の議会ではEWS(住民が設立した電力供給会社)に決めた。しかし、今度は電力会社側が議決を否定する運動を来ない、再度住民投票が行われた。
・1996年、住民投票の結果は再び住民側が勝利した。
7月7日、室賀小学校同級会が行われた
昭和38年の春、29人の子供達が室賀小学校を卒業してから50年になる。
その後、中学の時からずーと続いてきた同級会である。
そんな同級生も、もう62歳になる。すでに亡くなった友も1人いる。
今年の同級会は、浅間山が良く見えて景色のよい露天風呂がある北御牧の「明神館」で、泊りで行われた。
ゆっくりお風呂に入り、50年も前の事を昨日の事のように語り合う。
毎年続いている同級会であるが、どんなに話しても語りつくせないことが一杯ある。
夜遅くまでの会話はとめどもない。
この頃は、一年経つのが早くなったような気がする。
同級生の皆がいつまでも元気でまた来年も逢える事を心から願いながら、親しい友と別れた・・・。
今年も恩師には御夫婦で参加頂きました。大変有難いことであります。感謝で一杯であります。(感謝)
盛大に行われた金井忠一後援会総会・市政報告会=6月30日 |
国民健康保険税が払えないときは分割納付を
会社を退職すると、国民健康保険に加入することになります。1年間は退職前の収入で国保税が課税されてくるので、高額すぎて払えないことがあります。その場合には、相談の上分割で少しずつ納めることもできます。お問い合わせは 収納管理課まで
7月28日 | 金井忠一後援会マレットゴルフ大会(小牧橋) |
31日 | 上田市議会7月臨時会 |
8月1日 | 小諸上田線道路改良促進期成同盟会総会 |
4日〜6日 | 原水爆禁止世界大会(広島) |
13日 | 新盆挨拶回り |
15日 | 終戦記念日 |
23日 | 小規模多機能型施設「国分の家」運営推進会議 |
26日 | 神川地区分館対抗野球大会 国民救援会上小支部定期大会 |