ooboshi jinja
おおぼし じんじゃ

                      
 境内神














大星神社 由緒 
 当社の起源は、当社北東にある前方後円墳を奉斎するため里人がこの地に宮社を創建したという。
創立年代不詳であるが社伝によると 醍醐天皇延長2年(924)社殿が改築されたとあり平安以前から存在して
いた古社である。一説には、諏訪神を勧請したとある。
寛和二年(986)花山院法皇が当社に参拝し所感によりて、勅額三面(大法性、大法師、大星)を奉納。
鎌倉時代は地頭上田太郎佐恭に社殿を造営。
文明年中、海野信濃守幸が社頭を造営。
永正年中、村上信濃守顕国は神領を寄進。
永正14年、嫡男頼衡家督相続の時も神領を寄進。
天文年中、武田信玄上田原合戦に際し祈誓文を捧げる。
天正15年、真田安房守昌幸が神領九百五拾文を寄進。
慶長6年、真田伊豆守信之は神領五貫参百五拾文を寄進。
.明治初年まで大星明神と称されていた。
明治11年大星明神を上田神社と改称して郷社に昇格。
昭和 2年県社に昇格し昭和16年大星神社と改めた。
現在の社殿は寛保元年、当社を産土神とする出羽国上山城主松平山城守信将が再建したもの。
                                                                                       祭 神         

 神馬殿
 神馬(しんめ、かみうま)は、神が騎乗する馬として神聖視された馬であり神社に奉献
され一般的に白馬を重んじる。


 天 満 宮
  天満宮は「天神さま」「天神さん」とも呼ばれる。
 菅原道真が亡くなった後、平安京で雷、大火、疫病などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件で大納言の藤原清貫ら道真左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなったことから、道真は大自在天や大威徳明王などと関連付けて考えられるようになった。
「天満」の名は、道真が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来た
といわれ『日本書紀』の「虚空見(そらみつ)」から、あるいは「道真の怨霊が雷神とな
り、それが天に満ちた」ことがその由来という。太平の世になるにつれ道真が優れた
学者であったことから天神は「学問の神様」とされ多くの受験生が合格祈願に詣でる。


 弥栄神社
  弥栄社は昔祇園天王社ともいわれ、主祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)を
  お祀りし、京都八坂神社より勧請されたといわれております。
 創立年月は不詳でありますが宝永8年(1711年)再建の記録が残っており、
 祇園祭の神輿渡御の出発は弥栄神社で儀を執り行い町に繰り出しました。 
  現在の社殿は安政4年(1857年)に小さな詞であった社殿を現在の形に建立
  されたものです。

 里 宮 長野県上田市中央5-9
  当社の南1Kmほどの町中に大星神社の里宮がある。
 境内には天神天満宮の小祠も祀られている。