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ドイツ・デンマーク視察報告

2012年5月12日〜17日
上田市議会議員 金井 忠一

デンマークへ

5月12日(土)
午前3時50分 起床

ベッドの上で昨日の報告をまとめる。ドイツに移動するのでスーツケースをまとめ、午前7時 朝食 ドイツ最後の食事を楽しむ。
午前8時15分 雨の中をタクシーで2時間かけて国境を越えてスイスのチューリッヒ空港へ。

高速道路の向こうには広々とした畑が続く。 アカシアの花も咲いている。日本と同じ季節である。 午前10時15分 空港に到着する。スーツケース等を預ける。 空港内で少し早いが、軽めの昼食をとる。

5月12日 スイス チューリッヒ国際空港

空港内の昼食でパスタを食べる。2,600円少し高いか

雨の空港をドイツのコペンハーゲンのカストロップ空港に向かう。 飛行機の中から眼下に見えるドイツの畑は、菜の花の黄色と小麦の緑の農地が一面続いており美しい。住居が集落となり、その周りは広々した農地が広がっている。 空港で荷物をもらい、3万円を交換する。1クローネが約16円。空港を出ると、「ヒャッ」とした。昨日は30度以上で温度差が激しい。デンマークに着いたと感じた。タクシーでホテルに行く。午後3時 ホテル着。まず手荷物を部屋に置き、水を確保するため、ホテル前のガソリンスタンドにあるセブンイレブンのような店に行き、水を買う。

ホテルの22階から見たコペンハーゲン市内。まるで絵はがきのようである。=5月12日

ホテルの22階の窓から見えるデンマークの街は美しい。大小10ぐらいの教会が見える。色が統一された集合住宅が美しい。海の中には、風車が何本も立っているのが見える。 夕食は疲れていたので外には出ず、ホテル内の日本食店に行く。うどんを食べたが日本の味とは違う。それにしても金額は高い。日本の2倍。ここでは日本のようにはいかない。

5月13日(日)

4泊した26階建ての近代的ホテル=5月13日

午前4時 起床

朝陽が5時過ぎに昇ってきた。午前5時30分。朝の散歩に同室の渡辺議員と出る。1時間ぐらい街中を歩く。車には露が付いている。
相当寒い。折角持ってきたセーターを着てくれば良かったと思った。
ホテルは26階建てで高いので、どこからも見える。街の中にはセブンイレブンがあった。こんなところにまで日本から進出してきているのである。
中に入ったがほとんど日本と同じスタイルである。朝までやっているバーもあり、外で酔っている人もいた。若い男女も朝まで遊んで帰って行く人も多い。昨夜は土曜日なので、楽しんでいるのでしょう。
午前7時30分 朝食。毎朝パンをたべていたので、慣れてきた。

デンマークの施設訪問等の手配をして頂き、3日間お世話になった通訳の宮下孝美さん(在住40年)=5月13日

午前9時15分

5人で視察先へのお土産用に持ってきた品物を持ち寄り、2日間で6ケ所の視察先へ持っていくように袋に分けた。
ロビーに宮下孝美さんが迎えに来てくれた。私にとっては11年ぶりの再会だった。26歳でデンマークに来て、40年経つという。多くの日本人のガイドを務めて貰っている人です。
私も毎月「忠ちゃん便り」を送らせてもらっており、上田市の事も良く知っています。東北福島の南相馬市出身で、昨年の地震で兄弟の皆さんが被災されたということです。
今日から3日間世話になります。今日は日曜日なので、1日コペンハーゲンの観光の日です。バスに乗り市街地に向かう。コペンハーゲン中央駅に行く。 駅構内通路には障害者用のマークがついているが、障害者のためにわざわざやっているということでなく、当然のことであるとのこと。 電車を乗り継ぎ、人魚姫の像に。大型の観光バスが何台も来ており、デンマークでは有名な観光地である。皆が記念写真を撮っている。日本へのお土産として人魚姫の像を3ケ買った。

有名な「人魚の像」の前にて=5月13日

しばらくいくと「自由博物館」があった。第2次世界大戦当時、ナチスドイツの侵攻の中で戦ったレジスタン(共産党員や進歩的な人々)の闘ったものが、展示されていた。 銃殺処刑されたときに縛ってあった棒や、印刷機、機関紙等の資料が一杯である。国立の資料館であり無料であった。 いまだ戦争の歴史を風化させないよう、国民に知らせ平和な国家を守るために貢献している施設である。 市内を歩きアメリエンボー宮殿に着いた。ちょうど12時であった。
衛兵の交替式とぶつかり、大勢の観光客が写真を撮っている。 通訳の宮下さんや井村添乗員からスリが大勢いるので気を付けるよう再三注意された。 荷物は肩からかけて、前に抱えて写真を撮った。日本人はいい「カモ」との事である。 アメリエンボー宮殿(現在国王が住んでいるところ)の衛兵交替式。

(写真右→)衛兵交替式。毎日時間を決めて行われている。=5月13日

昼食は運河沿いの景色のいいレストランで、ヒラメのてんぷらを食べた。これは特にうまかった。市民は外でパラソルの下で食事をしている。太陽に当たるのを楽しみながら。

(←写真左)市民は運河沿いにあるレストランの前で太陽を浴びながら食事をしている=5月13日

運河沿いに建っているアンデルセンが住んでいたといわれている集合住宅=5月13日

(←写真左)フランスやスイスからの観光客と一緒に遊覧船に乗る=5月13日

運河の遊覧のために、船に乗る。約1時間。マイクで説明をしているが残念ながら言葉がわからない。運河沿いにある美しい集合住宅や街並みを船から見るのは素晴らしい。

さらに市街地を歩き、高い塔に上った。らせん状に登っていくのであるが、これがまたきつい。中には展示場などもあり、美術などの展示もされていた。 孫のお土産を買いながら上まで登っていき、頂上でコペンハーゲンの市内を一望できる場所で写真を撮った。 遠くに美しい教会の塔がいくつも立っている。色が統一された町並みは歴史と重みのあるすばらしい風景である。

コペンハーゲンの市内が一望できる場所で(屋上)=5月13日

さらに市街地を歩いて行くと、市庁舎前につく。市役所である。歴史と重みのある建物である。日曜日なのでやってはいないが、市庁舎前の広場では横断幕を掲げた集会が開かれていた。

市庁舎横に建っているアンデルセンの銅像=5月13日

今日はとにかく観光ということでコペンハーゲンを歩き続けた。何と25,000歩である。皆が疲労困ぱいである。 もう歩けないので、タクシで一旦ホテルに戻り、シャワーを浴びて少し休憩し、午後6時30分再び、夕食に街中に行った。 今日は中華料理が食べたいということで行った。食堂は中国人がやっているようであるが、とにかく「つっけんどん」で商売らしくない。 これで良くやっているなと思った。お客は誰もいない。 ホテルに帰ったのが午後9時だった。外はまだ明るい。調子が狂う。 幸いにも温度が12度くらいなので汗をかかないので助かった。 夜はまだ寒く、セーターがいる。デンマークはドイツより大型の人が多い。 トイレも高くて日本人向きではない。 信号機は途中まで歩いていくと急に赤くなる。 青から黄色にならないので赤くなるので注意が必要である。 自転車もすごいスピ-ドで自転車レーンを走ってくるので危ない。 ヒヤリとする。 車道と自転車道と歩道がきちんと区別されている。 ルールどうりに歩いていれば何の問題がないのである。

5月14日(月)

午前4時起床 きょうから2日間は視察である。外はまだ暗い。22階から見る街は湖と緑の森の中にある。 街燈はついているが、夜でも明るい日本とは違う。無駄な電力は使わない。午前5時。太陽が昇ってくる。 今朝は散歩しないで、今日からの視察の事前準備で学習をした。 昨日、宮下孝美さんから頂いた、「デンマーク農業の概要について」と日本との比較について資料に目を通す。 いよいよ今日から視察である。盛りだくさんの内容である。嬉しさと共に緊張感も出てきた。
午前7時 朝食。美味しく頂く。ホテルのロビーに8時30分集合して、電車で市街地にある視察先へ。

午前9時15分 デンマーク農業理事会(アクセルボ-)訪問

「農業食糧」、デンマークの農業、食料加工業、養豚、メデイア、農業アドバイスセンター、多くが酪農関係者で組織運営している産業協議会。 約15万人のメンバー数、年間売り上げ1000億クローネ。 対応してくれたのは、アドバイザーのイエンス・リングさん

農業理事会の入口、左は通訳の宮下孝美さん、小林議員、佐藤議員。=5月14日

説明をしてくれたイエンス・リングさん、右に立っている人=5月14日

農業は国の重点である。専業農家数は4万人。14万1千人が農業に関わる人である。人口550万人からすると比重は小多きい。 農業輸出はすべての12%。農業機械等も含めると20%。

ハト麦、家畜、ミルクが多い。豚も増えている。2,300万頭から2,400万頭。 コペンハーゲン周辺は農家が少ない。世代交代がうまくいっていない。若い人は都会で働きたい。 労働力を確保できない。 よってEUの人々を雇っている。農業機械が下がった。

ドイツ、スウェーデン、イギリスへの輸出が多い。日本は豚肉の重要な輸出国である。 ドイツ 20%、中国12%、イギリス11%、スウェーデン 9%。5番目が日本である。

中国が多くなってきている。毛皮ほとんど中国へ。原材料輸出市、再加工される。 韓国と自由契約を結んだ。日本とは安定的に行われている。政治的な対応もし、EUに働きかけている。日本にも自由市場に向けて働きけている。 デンマーク国王も韓国に行ってビジネスの話をしている。農家に対してアドバイスを行う

第2の市であるオーフスト市のセンターに500人ぐらい働いている。 31ケ所にアドバイスセンターを設置している。

技術、決算(経営)についてアドバイスを行っている。農業共同組合の皆さんの意見も集約されてくる。

農民は農業協同組合を作っている。ここにも理事会があり共同経営されている。農業業関係者が経営できるように、ここが働いている。

農業生産者、加工を代表する人も出資している。農業省からは補助は貰っていない。連携は取っている。基金を持っており、国が管理している。

農業関係のマーケッテングに利用している。 EUから補助金を貰う。建物の賃貸、ホテル経営(研究センター)で収入もある。農業省からの天下りは無い。 しかし、本人に能力があり結果的にこちらに来る時もある。東京にもオフィスを持っている。イギリス、ロシア、中国にもある。

2009年に誕生し、デンマーク農業理事会や酪農などが合併して「農業・食糧」を作る。総務局と事務局がある。

農業関係理事会と産業(加工)関係理事会があり、選ばれた代表が働いている。 アドバイスセンターとは姉妹の関係である。31ケ所のローカルセンターが農業団体と協力している。

独立しているが負担金を出している。EUから農民は補助を受けていない。 最低価格保証制度は無い。農業経営者は会社に売る。黒字分は還元する。

環境政策について

飲料水は地下水である。山も川もないので確保することはできない。糞尿を畑にまくことにより、地下水汚染をする。豚頭数1ha45頭。5万頭では1000ha必要になる。 土地の確保をしないと豚を増やせない。土地の値段も上がるので、土地を買うことも制限されてしまう。 生産団体で独立して農作物を売ることも自由にできる。大型農業者と家族農業者も組合に入っている。 5から10haの家族農業も、200ha以上の大型農業でも家族でできている。 人件費が高いので、設備投資(機械)に回して行っている。 農業を始めるためには、今では2億円から3億円かかる。 経済危機で土地の値上げで利子もかかり、農業経営はきび状況に置かれている。 日本語を習ったことがあるという事で、カタコトの日本語をしゃべりながら、親切に説明をして頂いた。最後屋上に上り、コペンハーゲン市内を見渡せる場所に案内してもらい写真を撮った。

国旗が立っている建物が有名な「チボリ公園」=5月14日

説明をして頂いたポール・スコウゴーさん。左から、小林議員、金井議員、ポール・スコウゴーさん、通訳の宮下さん。=5月14日

中型の貸し切りバスで30分走り、エコジカル農場に行く。
午前10時45分 到着 エコジカル農場視察

ポール・スコウゴーさん経営。農業学校を卒業して、カナダに2年間留学する。学生、研修生を常時受け入れている。 農場は親から買い取った。母豚150頭を90haの土地で飼っている。 放し飼いで、有機農法での農場である。3人でやっているが、2人は実習生である。 3年前に農場内に柳の木を植え、日陰を作っている。木が大きくなったら切って売る予定である。 薬は一切使わず、種付けも自分でやっている。有機豚は販売の利益率が高い。2011年8万頭を生産。80%は輸出である。 7週間で親から離して、3ケ月は外で、室内で3ケ月飼育して売る。104キロから112キロになったら売る。 デンマーク農業は今まで、平均35haの土地所有から、今では60haになっている。 小さいところはつぶれ、大型化してきている。そうでないと経営が成り立たない。 兼業農家もある。(ファミリ―農業)週37時間労働なので、朝6時から午後2時まで働いて、後は農業をする。 子どもと一緒に働くことは無い。50歳~60歳になると土地を売り年金生活に入る。 1986年 親から農場を買う。それまでは会社員。1992年 6頭から始める。 1997年 母豚40頭に。スーパーで売り始める。その後150頭にして、人も雇うようになる。

3年前に植えた柳の木があり、暑い時はその下で涼んでいる=5月14日

広々とした農地の中に、柳の木が植えられ、新しい有機農業に挑戦している。 若い女性の実習生が、大型のトラクッターをさっそうと運転して仕事をしている姿に、デンマークの農業にかける素晴らしい低力らの一端を見た思いがした。

放し飼いの有機農法の農場で豚小屋が通路の両側に見渡す限り長く続いている=5月14日

広大な農地の中を昼食会場に向かう。大きな風車が一杯回っている。 デンマークの風力発電は20%ということである。 昼食は田舎のレストランに着く。広大な野地の中にある。純コペンハーゲン料理を食べた。 ワインを飲みながら、黒パンとニシンの酢漬けが4種類、ヒラメのてんぷら。とにかく量が多くて食べることができない。 半分は残してしまった。そしたらまた肉がどっさり出てきた。手をつけなくてはいけないと食べたが、もう駄目である・・・。 デンマークの昔からの料理に充分堪能して店を出た。

デンマークの地方の伝統的料理を食べる=5月14日

レストランの入口で=5月14日

午後2時45分 酪農家の農場へ

インゲさん(52歳)が案内をしてもらう。500頭の牛がおり、250頭は乳を搾っている。牛量は1日11,000トン。研修生4人受け入れている。 毎週小学生3クラスの子供達が視察に来る。

牛のえさ(トウモロコシや麦など)いくつものが混ぜてある。左は「えさ」を見ている佐藤議員。=5月14日

えさは、7種類合わせて作っている。トウモロコシ、麦わら、牧草、大豆(南アフリカから輸入)、菜種かすなどを利用している。自給自足の餌である。 土地は85haと共同の土地270ha持っている。農器具ステーションから人を派遣してもらって収穫している。小さければ経営はやっていけない。

一度に24頭の搾牛をしている所の説明を受けている。牛が両側のゲートに整然と並んで乳しぼりである。=5月14日

雇っている男性と実習生2人での搾乳である。乳を布で消毒しきれいにして、搾乳機を一頭ずつ付けていく。 牛は搾乳終われば待っていて、ゲートを開けられて出ていく。誠にてきぱきとスムーズに仕事がされている。 搾乳は通常2人で1日2回、午前5時と午後3時に行っている。1頭5分かかる。全体で約2時間かかる。1頭当たり20万円の売り上げ。1リットル50円で売る。脂肪分が6.6%で高い。

 

おりの中にはジャーシ牛の子供が一杯=5月14日

元気一杯、ハツラツと働いている女性である。実習生や小学校生の受け入れ、そして私たちのような視察も常時受け入れている。明るい笑顔から元気を貰う。

農場内視察後、事務所でコーヒーを頂きながら説明を受ける。左から井村添乗員、久保田議員、渡辺議員=5月14日

農場に働いている人は、隔週で休みになる。週1回会議を行い、仕事の内容を決める。妻は学生等の受け入れと管理をしている。 あと10年から20年仕事をしたら、人に売る。子供は5人いるが跡を継がない。 大学生2人、高校生2人、義務教育1人(6歳から10年間)。 年金を積み立てていて、貯金している。税金は高いが学校も病院も無料なので助かる。 これ以上の拡張はしない予定。デンマークでは平均的な農家である。見学は常時受け入れている。多くの人に酪農について知って戴きたい。 子供たちは、農業を知らない。子供たちの広報活動のためにも受け入れをいつもしている。今後のデンマーク農業の事についても考えている。

貸し切りバスで市内に戻る。車内から見る風景は、見渡す限り、菜の花の黄色と、麦の緑の広大な農地が広がっている。風力発電の大きな風車も回っている。圧巻である。

風力発電のための風車が農園の中に多く建っており勢いよく回っている。
デンマークの風力発電は全発電量の20%を占めている。=5月15日

買い物をしてから、今夜の夕食はピザである。外は明るい上に、昼食の量が多かったので腹が減らない。残したピザを持ち帰る。今日は、12,000歩歩いた。2ケ所の農場を視察した。日中13度くらいで、背広だけでは少し寒かった。

5月15日(火)

午前5時 起床 ベッドの上でまとめをする。 今日は疲れぎみで朝の散歩はしなかった。 昨日は、デンマークの農業関係の基本的な状況のレクチャーを時間とって受けることができた。また、実際に二つの農場を訪問することができた。 農家の現状を聞きながら、デンマークの農業の厳しい一面も聞くことができた。 往復のバスの中で、通訳の宮下孝美さんの説明は、国内の事から、政治のありようまでとてもためになった。 24歳で片道のお金を持ち、世界中をアルバイトしながら旅行し続け、一番良い国がデンマークだったのこと。その後住み続け、以来40年になる。 デンマークでは路上生活も3週間経験したとのこと。 やっていけなかったら日本大使館に行けばいいと思っていたというから、その心臓には驚いた。 良く日本人は、デンマークは世界一高い25%の消費税であるという。 しかし、大学まで希望する者は無料で学ぶことができ、医療も無料、子供手当も貰い、年金も最低保証されている。 税金が高くてもデンマークの国民が税金の使い道について理解しているという説明に、国民性を感じた。 人口550万人の小さな国が、福祉国家として存在している姿に感激した。

夕食前に立ちよった、日本人が経営しているというお店に寄った。 アクセサリーを妻に買ってやった。彼女は在日中国人で、長野県の飯田市に10歳まで住んでいたとのこと。 デンマークに来て40年になる。商売をやり始めて24年。独身で頑張っている67歳の女性である。 デンマークに来たのは人権がしっかりしているからと話してくれた。 日本は国がありその周りに国民がいるが、デンマークは国の中に人がいると紙に書いて説明してくれた。 私が小学校のころは、長野県は教育県であった。皆さんは、しっかり頑張ってもらいたいと激励された。 外国で地で、たくましく生きている姿に力強さを感じた。

午前7時30分 朝食 朝の食事も慣れてきて自分の食べたいものを持ってきてゆっくり食事を楽しめるようになってきた。 午前9時 専用のバスで、1時間15分かけて、ヴォーデンボー市へ。

午前10時15分 ヴォーデンボー市到着
人口 46,400人 面積 621平方キロ.市長 ヘンリック・ホルマーさん(社会民主党)

ヴォーデンボー市役所前で=5月15日

市役所について入口のすぐ左に会議室があった。そこでレクチャーを受けるということである。 今日の日程が電子掲示板に出ており、日本からの視察ということが表示されていた。 市長が一人で来て、会議室のかぎを開けた。そこが議場であった。 平らな大会議室に円卓に机が置かれ、マイクが付いているだけである。 日本の権威を見せたような議場とは大違い。質素な会議室である。

市議会議場(大会議室に円卓の机とマイクがあるだけ)。明るくフラットな会議室で、自由に意見がたたかわれる場所である。市長よりレクチャーを受ける。左から、通訳の宮下さん、渡辺議員、佐藤議員、市長、久保田議員、小林議員、金井議員=5月15日

議員は29人(女9人、男20人)議長が市長を兼務している。常勤である。副議長2人。 市長は、王立獣医大学卒業 屋外建築(花壇、森、風景)を学ぶ。 建築設計士として働いていた。市役所に入りその後市長になる。日本庭園に興味を持っているとのこと。

合併したが、島が多く色々なところに橋をかけた。島が点在しているため、橋は利用価値がある。 デンマークでは一番長い海岸を持つ市である。(385km)2006年合併の時に、市章を作った。 水、空、森を表している。予算は30億クローネ(約45億円)。市税収入は25%。 地方自治体に対する補助は厳しくなってきている。借金はしないことが原則。 自治体法により経済委員会、企画開発委員会があり、議員はどちらかに所属する。 その他に特別委員会がある。

  • 児童、若者、家族委員会 子供が生まれ成長していくまで。訪問保険師、学童、保育、病気、アルコール
  • 福祉委員会 高齢者福祉、在宅介護、高齢者介護、病気予防、保健、リハビリ、慢性疾患、保健センター
  • 環境・気候委員会 ごみ処理、水位が増している、風力発電は小さい物がたくさんあるので、大型に切り替えていく。150mの風車を5基導入する予定。市内電力の40%はまかなえる。
  • 技術委員会 道、建物、港管理(27港・・5ケ所にヨットマリーン)
  • 文化・体育、余暇委員会 サッカー場、オペラ、コンサート、スポーツ
  • 教育・労働市場委員会 18歳から29歳までの若者対象。労働市場・・生保、病気手当を受け取る人もいる。

労働能力のある人の20%が支援を受けている。民間団体と協力してやっている。 2009年に市議会議員選挙があった。定数29人に150人が立候補をした。投票率は69%。 25人の推薦人があれば選挙に出ることができる。供託金は必要ない。選挙権は18歳から。 長期滞在の外国人も選挙権がある。最低7年。 29人の議員が市長を決める。自由に論議ができる議会である。1ケ月1回午後に議会を行う。

7月は夏休みになる。議員はそれぞれ職業を持っており日常的に仕事をしている。 必要に応じてゼミを行う。各委員会は月1回午後開く。議員はみんな仕事を持っており、常勤者は市長だけである。必要な時は特別委員会を設置する。

市民と話し合いながら、支え合って行っている。政策を掲げ、目標を持ってやっている。地下は石灰岩である。化石が多く出てくる。 デンマークの民主主義の発祥の地である。デンマーク最初の憲法をつくったところである。法律がなしでは国はできない。

国王は犯罪者を罰する。子供や女性は守る。女性を集めて教育をした。高齢者を集めてホスピタルを始めた。 専制政治は1847年に崩壊して、新しい憲法ができる。 憲法の起草にこの地域の2人の人が中心的な役割を果たした。

日本の東海大学の創立者の松前さんが、ここにきて学び大学を創立した。 以前は東海大学の学生が学ぶ場所があったが、現在は、国民学校になっている。柔道、文化、日本の社会について学んでいる。

市は16区に分かれている。それぞれ区議会がある。市議会と1年に一度話し合いをおこない、市民の声を吸い上げている。 市役所の職員は約400人。短期契約の職員3,500人。合計で約4,000人。 教員は400人。人事権もあり人件費も予算でみている。子どもの数が減る傾向で人口減になってきている。 学校はまとめて5校になっている。地方から若者が都会へ引っ越し、高齢者が残る傾向である。 空き家もあるが、別荘で利用している。民間委託もあるので4,000人の職員も辞めていくことになる。

市で働くメリットがなければだめである。魅力ある職場づくりのために、話し合いをして協力体制を作って努力している。 職員の代表と管理職が話し合いをして、働きやすい住み良い職場作りに心がけている。 市職員の応募は300人から500人ある。食堂労働者1人に対して150人の応募もあった。職員の50%が50歳以上である。

定年はあるが、ないようなもの。65歳で国民年金受給者になる。これからは67歳になる方向で検討されている。 65歳以上年金が出るので収入が多くなればカットされる。 労働者は基金(企業年金)も納めているのでそれも出る。(国はタッチできない)積立額は労働協約で15%から20%の中で決める。 熱心にレクチャー頂いた。職員は誰も連れてこないで1人ですべて説明して頂いた。

1時間30分も市長自らが説明して頂き、大変感謝をしました。 自信と確信を持って市政運営を行っている様子が伝わってきて、大変感激をしました。 最後に市長から用意をされていたお土産まで頂きました。

午前11時15分 ソルホイ(太陽の丘)高齢者・障害者センターへ

入居者は28人。職員は70人。50歳から98歳までの高齢者が住んでいる。活気を支えることが大事。 昨年は施設にカフェを作った。敷地内には高齢者住宅も28戸あった。デイサービスも行っている。 在宅ケアも行っているが無料である。

施設の責任者から高齢者施設の説明を受ける。=5月15日

入居者は毎月家賃を支払う。貰っている年金により差がある。自分の家と同じような居住間で住めるようにしている。 1部屋18坪ぐらい。子供や孫などの写真が一杯飾ってある。今まで自宅で使用していた、たんすなどを持ちこんで使っている。 デンマークには子ども達や孫と同居をするという習慣は無い。

自分では動けない高齢者をベッドから移動するようになっており、実演をして頂いた。部屋には子供や孫たちの写真が一杯飾ってある。=5月15日

重症でベッドから一人では自由にトイレや、入浴ができない人でも、ベッドから車いすに載せるような部屋に機器が付いている。職員がお手伝いをするのに非常に楽にできる優れ物の機器である。

高齢者が職員と一緒に買い物や外に出るための2人用の自転車。=5月15日

高齢者が外に出ることは重要なことである。一人ではいけない人は2人用自転車に乗って職員と共に、散歩や買い物に出かけるようにしていた。 心配りが優しい。

高齢者センター敷地内にある高齢者住宅。緑が一杯である=5月15日

高齢者センターは敷地が広く、センター敷地内には高齢者住宅ができており、28戸の住宅は平屋造りで、周りは緑の芝生と大小の木が何本も立っていて、非常に静かで環境が良い場所である。 このような場所で皆と一緒に老後を暮らせるなんて、本当に幸せである。

高齢者施設で用意してくれた昼食。ボリュームがあり感心する渡辺議員。

施設内を一回り説明して頂いてからセンター内で昼食を頂いた。 きれいに盛り合わせした食べ物で、黒パンの上に色々なものが載せてあり、好きなものを頂いた。 ローソクに火を付け歓迎もして頂いた。

障害者センター(認知症エリア)の訪問。

高齢者センターの隣接に障害センターがあり訪問した。デイホームやカフェー等の活動を行っている。 17人利用しており、外で語らっている人や室内でコーヒーを飲んでいる人、所定の場所でたばこを吸っている人がいた。 午前9時30分から午後2時30分まで利用できる。送迎をしている。 一日1,000円かかる。家庭的雰囲気の中で、残っている能力を生かすよう努力が出されている。 運動をしたり、小さな農園を作ったり、小鳥小屋もあった。 一人ひとりの人権が尊重されている様子が良くわかる。職員は皆明るく、帰りに入所者の作ったお土産まで(ローソク立て)頂いた。

高齢者で認知症のある皆さんのデイサービス施設。=5月15日

住宅地の静かな中に違和感なく施設はあった。 デンマークの国旗が掲げてあった。我々日本からの訪問を歓迎して、掲げてくれたということであり、大変感激する。

午後2時45分 トロルホエ保育園へ

15年前から行っている。月曜日から木曜日は午前6時から午後5時まで。金曜日は午前6時から午後4時30分まで。 子どもは43人で、2歳から6歳まで。職員は4人である。広大な森がある敷地を市が買収して保育園にしたものであり、子どもたちは1日中外で、森の中で遊んでいる。 親の要望で長時間保育を行っている。

砂場で自由に遊んでいる。プラスチックのおもちゃはまったく無い。=5月15日

子どもたちは体の動きが違う。ガマン強くなる。人気のある保育園であるとのこと。 先生は一応年代別にグループに分けてみているが、誰もが全体をいつも見ている。 保育料は月22,500円。国からの補助がある。午前中のおやつと、弁当は各自持ってくる。 「親の会」の希望でこのような保育をしている。

森の中の保育園。子ども達は一日中森の中でのびのび生活している。=5月15日

市には22園の保育園があるが、森の保育園はここだけである。 民間にも森の保育園はある。国の補助は同じであるが少し高いということである。 子どもたちは冬でも外で遊ぶ。寒い時はジャンパーと帽子。プラスチックのおもちゃは無く、木の箱等を利用して元気に遊んでいる。 洋服はまちまちである。広大な敷地の中の保育園で、のびのび育つ子どもたちは幸せである。

保育園の玄関で、左から佐藤議員、渡辺議員、園長、金井議員、小林議員、久保田議員=5月15日

デンマークの視察もようやく終わった。充実した2日間であった。 市内まで帰るバスの中で通訳の宮下孝美さんよりデンマークの農業、福祉についてのレクチャーを受ける。

(デンマークの農業)
  • 人口550万人。年平均温度7,7度。降水量712mm。
  • 1973年 EU加盟。農業政策は基本的には共通農業政策に基づいて実施されている。
  • 農家の平均農地端面積は、60ha。農業産出額の3分の2は輸出。自給率は300%。
  • 主要作物は、小麦、大麦、てんさい、ジャガイモ、肉類、牛乳。
  • 豚肉の輸出額は、米国に次いで世界第2位。ベーコン・ハムは第3位。
産業別人口
  • 公的管理職・教育・健康   31.1%
  • 商業・運輸      24.0%
  • 工業・鉱石・採石業・供給事業所 13.0%
  • サービス業      10.0%
  • 農業・林業・漁業     3.0%(74,000人)
  (デンマークの福祉政策)
  • 1 育児休暇 出産前出産予定日4週間前から出産後 母親14週間(義務)父親2週間14週間後 こどもが9歳になるまで母親と父親で合計32週間
  • 2 義務教育名称 国民学校(一貫校) 幼稚園クラス 6歳入学 1学年から9学年10学年生(選択)
  • 3 義務教育後の進路 専門学校、高等学校
  • 4 休暇法 自営業者も失業者も対象で、年間約5から6週間
  • 5 失業手当(自営業者も対象)失業前の収入の90%保障
  • 6 国民年金 15歳から65歳まで最低3年間デンマーク在住し、デンマークに住所を持つ国民。外国人・・15歳から年金受受給まで10年間デンマーク在住。年金受給年齢直前の最低5年間はデンマーク在住。

夕食を市内で食べるために、市庁舎の近くでバスを降りる。 宮下孝美さんとここで別れた。午後6から妻とコーヒタイムとのこと。 今までの懇切丁寧な対応に感謝をしながらお別れをした。 素晴らしい視察の計画段取りをして頂き何とお礼を言っていいのやら。 これから日本に帰ってから、議会活動に生かしながらその恩に報いていかなければと思った。 夕食に中華料理を食べながら視察の反省をした。 内容の濃い視察になったことで皆の意見が一致した。 今年11月6日から7日にかけて、上田で、ドイツ、デンマーク視察信州上田松茸交流会を、お世話になった添乗員の井村さんを呼んでおこなうことを決めた。 タクシーでホテルに戻りシャワーを浴びて、今日の視察のまとめをした。午後10時ベッドへ。

5月16日(水)
午前5時起床 外が明るくなり始める。

デンマークでは4泊した。同じホテルであり、移動も楽であった。1日目はドイツから移動し、2日目はコペンハーゲンの観光だった。3日、4日は1日3ケ所ずつの視察であった。

通訳の宮下孝美さんいわく、今までには無いような、外務省や、日本大使館、大手旅行会社者に頼んでもできないような、内容にしたと言っていました。 視察をしてみて、実際にそのように思いました。宮下さんのその時々のレクチャーは内容が深く、日本との対比ができるという点でも大変勉強になりました。 デンマークが行おうとしている方向性や市政の内容が良くわかりました。

人口550万人のデンマークが農業国として、外貨を稼がなければいけないこと。しかし、農業従事者は3%しかいなく、一層の大規模化が必要になっている。経営能力が求められる。 福祉国家して試行錯誤しながら発展、成長している様子を垣間見ることができた。行政は、住民が主人公であり、住民の意見を聞いて充分に聞いて行っている。 原発を持たないことを国会で決議しているデンマークでは、自然エネルギー、特に風力発電が昔から多く、海上や農村には大きな風車が多くある。 市民一人一人が誰でも、権利として行政からの色々な恩恵を受けている。そのために消費税も25%払っている。皆が納得して生きている姿がある。素晴らしいことである。

午前7時30分 朝食

4日間同じバイキング方式の食事をしていると、口に合うものを食べるようになる。気も楽でいつも楽しく頂くことができた。 今日が最後のデンマークであり、朝食後1時間ぐらい、小林議員と、佐藤議員と外に出て教会まで散歩した。 午前10時に荷物をフロントに預けて、市内まで行き最後の買い物をした。ホテルを12時に出て、国際空港に向かう。 帰りは成田まで乗り換えなしで直行である。約11時間かかる。待合のロビーでは7割から8割日本人であった。日本語の会話を聞くと少しホッとする。 長い飛行機の中であったが、午前9時10分成田空港に到着した。 前もって頼んでおいたタクシーで上田まで直行である。昼食はパーキングでどうしても食べたかった、ラーメンやかつ丼を食べながら、午後2時10分に上田に着いた。

 

コペンハーゲン市内で最後に撮った写真。=5月16日

9日間という長い海外視察であった。ドイツが福島原発事故から教訓を得て、国として脱原発を選択してから、再生・自然エネルギー政策にかける意気込みはすごく、多くの研究機関や会社ができ、雇用も確保され始めていました。

日本では、福島原発で多くの犠牲を払い、いまだ多くの皆さんが故郷にも帰らないでいる状況がある。原発事故の原因究明もいまだされておらず、責任を持った対応を(世界に向かっても)きちんとしようとしない状況です。

日本中の国民や若い皆さんが子どもたちの将来を思い、放射線に対する心配をしている現実があります。なのに、政府は大飯原発の再稼働をしていくということであります。 いったい日本という国はどうなってしまったのだろうか。地方議会に身を置くものとして、国の政治のありように多くの失望を感じている毎日であります。 今度こそ、国民の声が届くような政治にしていかなくてはならないと強く思っています。

デンマークは550万人の少ない国民人口の中で、福祉政策を系統的に充実させてきています。 北欧の小さな国が世界に向かって、今小さくとも輝いていました。

日本では、「社会保障と税の一体改革」というようなこと行われようとしていますが(ほとんど議論は国会ではやられていない)、国民の事などいっそ考えての論議はされておりません。 消費税は上げて、年金や介護保険制度、後期高齢者医療制度、国民保険制度などはどんどん改悪される一方であります。 生活保護制度についても、一部のタレントなどの例をもって、一層厳しい指導がされるような方向になってきています。 福祉を充実させるのではなく、排除していく傾向が顕著になってきています。誰もが安心して生きていけるような国にするために、福祉政策の充実のために力を出さなくてはと思っています。

今回の海外視察に当たり、家族を含めて多くの皆さんにご協力を頂きました。 一生懸命に学んだことを今後の議員活動の中で生かし、皆さんへの恩返しにしたいと考えています。

2012年6月3日 金井 忠一

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