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積極的に生きる老後

ドラオァ市年金者センターに着く。
 ここには、高齢者住宅、在宅ケアステーション、デイセンター、活動センターがある。人口は12,500人。18世紀の家並みが当時のままに残されている、静かな漁村。
センターの中の食堂で昼食を頂いた。高齢者のための食堂であるが、特別に食事をすることができた。バイキング方式で、本日のメニューはハンバーグと魚、ポテトである。大変美味しかった。
責任者は若い独身のキビキビした女性所長(ハネさん)で施設の案内をしてくれながら説明してくれた。
右の方が所長さんのハネさんです。
左は通訳をしてくれた宮下孝美さん。デンマークに30年間在住してガイドをされています.
 ここは11年前に工場の跡地に建築した建物である。65歳以上の年金者が経営しており、市職員が4人いてお手伝いをしながら管理している。年間予算は180万クローネ(約2,880万円)特別養護ホームに入る人の3人分の予算である。
ビリヤード、トランプ、ダンス、ビデオの作成、花づくり、コンピュターの勉強、オーケストラ等40のサークルがある。とても気持ちよく楽しみ、みんな美しく年をとっている姿は感動的である。
工作室もあり、色々な木工製品を作り楽しんでいる人もいる。年金者組合の人が、機関紙を作り印刷していた。理事会があり経営しているとのことである。ボランティアの部屋もあり、高齢者が書類などを出すための代行などの手伝いをしている。
 高齢者住宅が45戸、ファミリー住宅10戸、若者向け住宅2戸ある。ここの施設は65歳以上なら誰でも利用できる。登録もする必要がない。色々な材料費も無料。友情や、社会性を養うところであり、夫や妻に先立たれたものが、ここに来て、エレルギーを得られる場所でもある。市の人口の22%が年金生活者である。小さな市なので、顔身み知りの友達も一杯おり、開設時には想像できなかった、週800人の利用者がいる。場所が狭くなってきている。送迎車もある。健康が一番大事であり、予防のためにもこのような施設の果たす役割が大きい。施設は、通常は土曜日、日曜日は休みであるが、使いたい人がいれば「カギ」を貸せるとのこと。施設では、いじめや人を排除することはまったくない。・・・デンマークではありえないことであると質問にはっきり答えていた。すべての高齢者が、こざっぱりした格好で、それぞれ合った着物を着ており格調がある。清潔感あふれた年金者で、老後を楽しんでいる。なんともすばらしいことか。・・
 施設内にある、一つの高齢者住宅を見学させてもらった。80歳の女性で、開設以来11年間すんでいる。家賃は1ケ月4,500クローネ(72,000円)で、半分は市から補助が出るとのこと。
 寝室、居間、勝手、風呂があり、きちんと整理されている。買い物はベンツで行くとのこと。帰りがけに玄関先にベンツがあるのをみた。(何と手押し車であった・・そのユーモアには敬服した)
 亡くなった夫は漁師だった。現在のような生活は、当然の権利であるとのこと。
 高齢者がこんなに明るく、老後を楽しんでいる姿をみたことがない。日本では、家族に気がねし、介護保険の保険料や、利用料の負担があり、長生きしてすまないと思っているお年寄りさえいる。
健康な人だけでなく、高齢者や障害者がこんなに生き生きとしている国があるとは、驚きである。福祉国家を目指している国と、そこで働く職員と、元気に明るき生きている高齢者を見るにつけても、日本の福祉の貧困さは・・・・
2時間ほどの視察であったが、キビキビした所長の説明に感謝しながら施設を後にした。古い家並みの小路を歩いていくと海に出た。2月のデンマークの小雨降る海と、古い街並みが残る漁村は静かである。停留所でバスを待った。一日中小雨が降るなかでの、忙しい視察であった。

PM時6時30分歩いて夕食に
市庁舎のある広場を通り抜けて、ネオン輝く街並をみながら、中央駅構内にある、レストランへ行く。中央駅の北側には有名なチボリ公園があった。冬なのでやっている様子がない。
外国にきたら外国のものをと、いも焼酎とビールを飲み、しばし北欧の味と雰囲気を楽しんだ。
ホテルに戻り、日本へ電話する。朝の4時とのこと。明るい妻の声に安心し、シャワーを浴びて寝る。

2月13日(火)晴れAM5時起床
窓を開けると星が見える。しめた今日は晴れだぞ(昨日が一日中雨だったのでうれしい)・・
早く起きたので、昨夜街で買ってきたリンゴを食べながら、後半に行くスウェーデンの福祉の勉強をしようと、日本から持ってきた本を読む。
二日目になると、ホテルの様子やいる場所がわかるので楽である。太陽が出てくると、青空が広がり、日本の3月初旬を思わせる天気である。
AM9時 ホテルを出る。午前中は、観光バスでコペンハーゲン市内の観光である。

クリスチャンボー宮殿
約400年前に出来たというすばらしい荘厳な建物である。現在の建物は、1928年の完成で、迎賓館や国会議事堂として利用している。国会議員は179人。平均年齢は50歳代とのこと。議員は自転車で通勤している人が多いという。学生や、主婦、勤めている人が国会議員になっており、議会も夜やるなどしている。投票率は90%台であり、政治に対して、国民の関心が高い国である。
人々の自由な出入りが行われており、民主主義の原点がうかがえるえるような、自由な建物である。古い運河のある街なので、河には小船がとまり、それに沿ってたっている町並みはすばらしい落ち着きがある。
コペンハーゲンはアンデルセンが愛した街でもあり、住んでいた場所もある。遠くに風車が見える。風力発電は14%である。環境を守る発電だ。現在も港町として重要な拠点で、ロマン漂う街並みは訪れる者の心を捉える街である。
アマリエンボー宮殿
現在の国王が住んでいる場所である。広場を囲むように、四つの建物があり、二つの建物には国旗がなびいていた。(国王や皇太子が今いることをいみしている)国民に慕われている国王であり、公務以外は自分で車を運転して、外出もしているということである。衛兵が2時間おきに交替式をやっている。規律正しい動作は見ていてもすがすがしい。観光客が一緒に写真をとるが、顔色一つ変えないでいる。オーロラを見に来ているという日本人観光客に合った。ツアーできており、運良く見ることが出来たとのこと。
人魚姫の像
デンマークを代表する童話作家アンデルセンの「人魚姫の像」は、運河(海)のほとりにひっそりとたっていた。2月のもっとも寒い時期ということもあり、観光客は誰もいない。何かもの悲しさを感じる。保育園の子供達が保母(保父)に連れられて、遊びに来ていた。本当にかわいい顔である。寒いのでみんなつなぎの防寒服を着て、帽子をかぶっている。青い目の子供達を見ていると、その純粋な姿にデンマークの将来が見えるような気がした。
レジスタンス博物館
広い公園を歩いていくと、レジスタン博物館があった。ここは、日本の観光客はツアーに入っていないのでこない場所であると、通訳の宮下孝美さんが話していた。
 デンマークは第一次世界大戦では中立を維持した。しかし隣接するドイツとは不可侵条約を結んでいたが、1940年にドイツ軍の進行を受け、その支配下に入った。
この施設は、1940年代のドイツ軍に対するレジスタンスの抵抗の様子を生々しく再現してある。機関紙を地下で印刷した印刷機、処刑されたときに縛られた柱等いろいろな物が展示されており、涙が出てきた。日本が真珠湾攻撃をした記事や、広島に原爆が落とされことや、降伏したことを伝える新聞も展示してあった。
ヒットラーに対して戦った民衆の戦いの不屈さとエネルギーが、現在のデンマークの民主主義を支えているように思えてならない。
参考にと、写真の入った記念の本を買った。(言葉は読めないが、説明をしてもらいながら、中を見てきたので絵だけを見ても大体の内容がわかる。)
 3時間の市内見学はあっという間に終わり、昼食場所に歩いていく通りにデンマーク大学があった。誰でも自由に校内入ることが出来るというので中に入って見学した。授業を受けて終わったところであるか、学生でごった返していた。
自由に学生生活を楽しんでいるようにも見える。親にとっても、学生にとっても、授業料が要らないということはのびのび勉強できる元である。日本の子を持つ親からすると羨ましい限りである。
 デンマーク大学の近くの「みにくいあひるの子」というレストランで昼食を取る。バイキング方式の飲み放題の食事であるが、まさか昼間からビールとは思ったが、飲んでしまった。実にうまかった。
高齢者集合住宅の見学に
 昼食後、バスを乗り継ぎ、視察の大きな目的である高齢者住宅に向かう。
 今回の視察でうれしいことは、通訳兼ガイドの宮下さんのおかげで、一般の市民の乗るバスや列車を利用しての移動が多いことである。
 ダス停で市民の皆さんと一緒にバスを待つことや、一緒に乗ることができることは、デンマークの生活している様子がわかりためになることである。行き交う人々を見ていると、子供も、大人も、学生もなぜかのびのび、ゆっくりと行動しているように見える。
 こせこせ忙しく時間に終われている日本人から見ると、羨ましい気がする。我々日本人は、果たしていつまで今のように働きつづけるのだろうか。ストレスがたまり、多くの労働者は病んでいる。日本は、21世紀の世界の中で、どのような役割を果たしていけるのであろうか。
高齢者集合住宅の見学で歓迎を受ける バスを降りて、住宅地を見ながら、歩いていくと、住宅の管理人と3人の高齢者が出迎えてくれた。広い部屋に入る。高齢者の誕生会や、ダンス、集会をするところである。テーブルが並べられて、ローソクに火がついている。ケーキやコーヒーが用意されており、心温まる歓迎の準備をして頂いていることが理解出来た。日本から持っていったお酒を、お燗して飲んでもらった。自己紹介や日本の歌、黒田節の踊りまで出しての楽しい交流をすることができた。その後、2組の高齢者住宅に案内してもらうことになる。
  • 1組の住宅(夫が元衛兵で77歳、妻が80歳。足が悪いので、手押し車で部屋の中を歩いている)
玄関から居間、寝室、食堂まで色々な写真(子供や孫)絵画が飾ってある。ゆっくりと老後を送っている様子がわかる。ワインを出して、歓迎をしてくれた。そのうまいこと。デンマークでは1代ごとに生活しており、年をとったら子供に面倒を見てもらうということでなく、自分の出来ることは自分でしながら、いろいろな市からの援助を受けてそれぞれが自由に生活している。そして子供や孫を愛し、誇りにしている様子がよくわかる。
この住宅は1ケ月5,700クローネ(約91,200円)比較的広く、家賃も高いほうである家賃補助は年金のもらっている額によって違うが、半分ぐらいのようである。
  • 1組の住宅(70歳の女性の一人暮らし)
他の棟に住んでいる一人暮らしの男性も来て歓迎してくれた。壁や棚には、子供達やなくなったお母さんの写真が飾ってある。出窓には、色とりどりの花があり、なんとも美しいことか。
ここでも、ワインで歓迎してくれた。日本から持っていったお土産を、それぞれがお礼に渡した。(私はどこでも、妻が一杯作ってくれたコップ洗いをお礼に渡した。)
この集合住宅は、現在7棟で188戸あるとのこと。管理人は、面倒見がよい男性でみんなから慕われているようである。このような高齢者住宅に入るには、それぞれが申請して、現在の住宅状況や、身体の具合などを市の担当者が調査し入居するのである。このような住宅が、それぞれの自治体にたくさんあるのです。
日本の市営住宅と違うことは、高齢者の状況に応じて入居しており、ただ空いているから入るということではない。体の具合に応じて医者やヘルパー、交通の便等が考慮されている。
 高齢者が今まで働いてきた、納税してきた当然の結果として、権利として、自分に合った生活が保障されているのである。
今回の訪問は、日本を代表してのものであり、このような交流は意義あるものであるといっていた、通訳の宮下さんの言葉が印象的であった。
お世話していただいた皆さんにお礼を申し上げ、高齢者住宅を後にした。

 バス停まで歩きながら見る街は、道は広い。真中が、車道で、両側に自転車専用のスペースがあり、その隣が歩道である。自転車専用のところに入りながら歩いてしまうので、後ろからチリチリと鳴らされることがある。自転車が多く、どこでもスピードを出して走っている。まったく、クリーンな交通手段である。

 PM5時30分頃、ホテルの近くのバス停で降りる。街のネオンがぼつぼつとつき始める時間である。市庁舎のすばらしい建物と、調和の取れた街並みはすばらしく落ちついている。歩くごとに、あまりに歓迎されて飲んだワインがだんだん効いてきた。
PM7時、夕食に肉と地元ビールの店に行く。店のなかは一杯である。みんな陽気に飲んでいる。負けて入られないと、試験管の親分みたいなところにビールが1リットルも入っているコップを注文した。全部飲まないと、帰れないと、履いてきた靴の片方を取られてしまい、その替わりにわらで作ってあるわらぐつをはかされ、とにかく一生懸命に飲んだ。(めでたく飲み終えることが出来た・・店のジョークのある歓迎の一つか)骨に肉のついたものや、肉のくし刺し、ポテトのチーズ入りなどの美味しいものをみんなで食べながら英気を養うことが出来た。ほろ酔い加減で、冷たい風を頬に受けながらホテルに戻った。今日は1日中歩き回り、普段の運動不足もあり、少々疲れ気味なので(飲みすぎだよという声もある)
 シャワーを浴びてゆっくり寝た。
2月14日(水) 晴れ朝3時起床
 シャワーを浴びてから、昨日のことをノートにまとめる。(年をとってきたせいか日本にいても早起きになっている。)
 「スウエーデン人はいま幸せか」(訓覇法子・くるべのりこ著)の本を読む。明日から、スウエーデンでお世話になる通訳をしてくれる人が書いた本である。三重県で生まれ、日本福祉大学、ストックホルム大学に学び、現在ストックホルム大学院研究員である。日本にいる間に勉強しておけばいいのだが、出発前日まで忙しく飛び回っていたので今になってしまった。事前の勉強をして視察に望むと、大きな効果があるので出来るだけ無理をしても勉強をしておかなければと思い、泥縄式の勉強であるが視察中も少しづつ時間をとって読むように努力をしてきた。

アンデルセンの故郷、オーデンセへ
 今日は、希望者はオプショナルツアーとして、アンデルセンの故郷に行くことになる。
 私は、再び来る事が出来るかわからない国でもあり参加した。この際、デンマークの国を思い切り知ろうと思う。
AM7時 ホテルを出る。市庁舎の広場を通って、中央駅に向かう。列車で1時間30分かかる。オーデンセは国内第3の都市で、現在は人口14万5千人の商工業都市。車窓から見る風景は、今までと違って、広々とした草原が続く。牧草と小麦畑だ。農家が点々と見える。海も見えてきた。海底トンネルをとおり(昔は船で渡ったとのこ)フュン島に渡る。列車の中では、通訳でデンマーク滞在中お世話になっている、宮下孝美さんから、アンデルセンについての事前学習をした。(宮下さんはアンデルセンの研究をしている人でもある)

オーデンセ市庁舎
駅から歩いて30分、市庁舎に着いた。市庁舎は4階建ての歴史を感じる建物である。
約400人が働いているとのこと。1階はカウンターになっているが、後はすべて個室で仕事をしている。2階にいってみるが、ドアの着いている部屋があるだけで何もない。どこかのホテルにきたようである。1階には市議会議員の写真が張ってある。30人で女性は6人いた。街の中を歩いていくと、アンデルセン公園に着く。ここはアンデルセンの母親が川で洗濯をした所があり、広場となり、公園の中を川が現在も流れている。アンデルセンの大きな銅像が建っている。隣には、古い教会もありおもむきのある場所である。
中世を思わせる街の中を歩いていると、野外での広場で野菜や魚、花などを売っている所に出た。近くの住民がここのマーケットに新鮮な食料を買いにくるのだろうか、大勢の人々が集まっていた。

アンデルセン博物館
石畳の向こうに、小さな建物が(三角屋根)見えてきた。何かの写真で見た風景が目の前にある。生まれた場所に作ったという、アンデルセン博物館である。アンデルセンの70年の生涯を、原稿、手紙などを展示しながら説明してある。
通訳の宮下さんに案内してもらいながら、細かい説明をしていただいた。「マッチ売りの少女」しか知らない私にとっては、とても勉強になることだらけである。孫のお土産に、デンマーク語の「マッチ売りの少女」「みにくいあひるの子」の本を買った。(まだ1歳と歳の子供であるので、デンマーク語も日本語も読めないなら、こちらのものをと考えた)
博物館の隣にカフェがあり、昼食を食べた。古い小さな赤レンガの家がいっぱい建っている。心が和むすばらしい風景を見ながらの食事は200年前に戻ったような気がした。

アンデルセン幼年時代の家
街中をさらに歩くと、アンデルセンが通った学校跡(何かの工場になっているようである)もあった。古い建物であるがよく残っていると思う。少し歩いていくと、アンデルセンが、2歳から14歳まで過ごした家があった。かわらの屋根で、柱がむき出しの曲がっていて戸もよくしまらないような建物である。現在は市で管理しており、年配の女性がいて説明してくれた。寒い時期なので、観光客も私達だけである。
1軒の長屋のような小さい家であるが2世帯が住んでいて、その中の1部屋に親子3人で住んでいたのである。こんな狭い部屋の中で生活していたのかと思うとさびしい気がする。多感な青年時代までをこの場所で生きてきたことが、何百年経った現在も、世界の子供達の胸を打つ童話を書き残すことができたのかとも思う。
もっとゆっくりと街中を歩いていたいと思うが、歩きながら町並みや教会を見ながら、オーデンセ駅に向かう。
PM1時13分の列車に乗って、コペンハーゲンに帰る。少々時間が出来たので、市内の博物館に入る。今日は入館料が無料の日(水曜は無料)であり、多くの人々が入っていた。こちらで有名なビール会社の「カールスベア」が寄付したものである。印象派の、ゴーギャン、ゴッホ、などの名画や、ローマ時代の掘り起こされた貴重なものが展示されていた。とにかく広くて、大きい建物である。
デンマークだけの視察で、明日日本へ帰る東京の三田さん親子と、みんな一緒に中華店に食事にいった。久しぶりの口に合った料理で、ついついまた美味しく飲んでしまった。夜の町を酔いながら、ぶらぶら歩いてホテルにもどった。