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スウエーデンに着く
AM10時40分 空港には本日の案内をしてくれる、北川さちよ・アンダーソンさんが迎えてくれた。(スウエーデンに30年住んでいる)
チャーターしてある中型バスで、ストックホルム市内の見学をする。ストックホルムは、14の島からなり、周囲には群島が散在している。歴史は13世紀半ばに始まり、現在は人口74万人で、歴史的建造物が多く残り、北欧のベニスと呼ばれるにふさわしい景観である。私にとっては、職員時代の9年前にごみの視察で来て以来2度目の訪問となった。懐かしさとともに、再び訪れる機会が出来たことの感謝でいっぱいである。
スウエーデンの概要
人口886万人。面積は、日本の1.2倍。北欧最大の国土と人口を持つ国。長い冬の間は、戸外のすべてが雪と氷で閉ざされてしまうため、地域の住民同士が助け合う連帯精神と、自宅での快適な暮らしに対する要求が強い。高齢者全体の92%は自宅で生活している。子供が成人して両親と同居することはほとんどないため、高齢者の自立した、生活を支える公的介護サービス・訪問看護が発達している。
1992年から開始された、「エーデル改革」によって、長期的医療ニーズを持つ高齢者・障害者の医療と福祉サービスを統合し、老人医療と在宅看護は県からコンミューン(日本の市町村)へ管轄を移した。これにより、ホームヘルプサービスの内容も、単なる家事援助から介護・看護中心の専門的業務となり、病院や施設に偏らない在宅ケアへの移行が可能となってきた。世界的な高齢化と経済危機の元で、スウエーデンでのこうした成果がいま注目されている。
市庁舎へ
1923年にできた市庁舎
この場所はノーベル賞受賞式の晩餐会や祝賀会が行われる場所
1923年にオープンした市庁舎は、800万個の赤レンガでできている。ノーベル賞授賞式の晩餐会や祝賀会が行われる場所でもある。
働いている職員は、約200人。各自治体ではできないような大きなことをやっている(住民に直接関係することは各支所などでやっている。)
祝賀会を行う大きな広場の中心で説明をしてもらいながら、広い階段を上がって、2階の議場の見学に。101人の議員がいる。半分は女性である。一般市民や外国の観光客がいつでも議場を見学できるとは驚きである。閉鎖的は日本ではなかなか考えられないような経験である。議会は、各週で月曜日の午後3時から夜にかけて開催される。仕事を持っている議員が多いので、工夫しているとのことである。
黄金の部屋とも思われるような、すばらしい荘厳な部屋がいくつもある。各種のイベントが行われる場所である。 湖の中にあるような建物であり、そのすばらしさは何度来ても感動する。
高さ155メートルのカクネス・タワーへ
昼食は、スカンジナビアで最も高い展望台で。 下を見ると寒々した広場と、遠くには針葉樹林の林が多くある。遠くにストックホルム市内が一望できる建物である。
大きな厚いサーモンを食べた。今までに食べたことのないような大きさである。こんな高いところで、市内を見ながらの食事は気分も爽快である。
ガムラスタン(旧市街)を徒歩で
旧市街ガムラスタンの町並み
ストックホルムの発祥の地である旧市街。街の周囲にめぐらされた最古の城壁は13世紀のものである。17世紀の建物が多く残されていて、中世の歴史をあちらこちらに垣間見ることができる。建物は、法律によって保存することが決められているが、同時に人々が生活している地域でもある。バルト海から吹き付ける風と寒さのなかを、徒歩で市内を歩いた。王宮がある。内部に608もの部屋を持つオランダ・ルネッサンス様式の宮殿である。衛兵が警備をしている。モーレツな寒さのなかをよくもじっと立っていられるものであると思う。
狭い路地を歩くと、まるで中世に戻ったような錯覚を覚える。この場所は、歴史的ゆかりの地や建造物だけでなく、アンティークの店、古書店、手工芸品店、各種専門店、レストラン、カフェーなどが立ち並んでいる。ここでゆっくりと時間が過ごせることができればいいのにと思いながら、早足での市内見学となった。
北欧の冬の厳しい寒さのなかで行き交う人々は、オーバーを着て、サッサッと歩く。(寒いのでゆっくりなど歩いていられないのか)
PM4時 ホテル オーデンに着く
PM5時 電車に乗って旧市街の大きなN・Kデパートにいく。 今までお土産を買う時間が十分になかったので、募金を頂いた皆さんにと、マフラーを買った。25% の消費税がついているが、帰国のときに外国人観光客には空港で手続を行えば返還されるようになっている。
PM 7時20分 ホテルに戻る。 夕食のため、歩いて街に出て行く。寒さは相変わらずである。今日は、日本食にと「寿司バー」にいく。ここは、東京から来ている人が経営していた。懐かしい北欧での日本人に再会し感激しながら、久しぶりのうまい寿司を食べることができた。まさかスウエーデンに来て寿司が食べられるとは。こんな遠くの国まで来て商売をしている日本人の力強さに驚く。 ホテルに戻り、サウナに入る。60度の低温サウナである。ひさしぶりに汗をかいてのサウナはとても爽快である。
明日はいよいよスウエーデンの最後の日である。視察が一日中ぎっしり計画されており、強行スケジュールが予定されている。視察の疲れもピ−クにてきている。
PM10時 深い眠りに

2月16日(金)晴れAM5時15分起床
今日一日で視察も終わりとなると、なんとなく寂しい気もする。 今日は、エンショーピン地方の施設見学である。福祉機器の製造会社、サービスハウス、地域医療センター、痴呆性老人や高齢者のグループホームの見学である。 4ケ所を1日で視察するのであるから、時間追われた視察となりそうである。
AM8時30分 本日の通訳の訓覇法子(くるべのりこ)さんがホテルに迎えに来てくれた。約1時間かけてエンショーピンの町までの間、スウエーデンについてのレクチャーを受ける。 気合が入っている通訳の方なので大変である。(聞いているだけでなく質問までしてくるのである)1分1秒も大切に今日1日勉強してくれという思いがあるのでしょう。
すべての人が幸せに生きることができる社会
痴呆になっても人権はなくなるまで守られる。施設も特別住宅として、住まいの機能を持っており、いままで自分が使用してきたベッドや家具などを持ち込んで使用できる。 誰でも最低の面積が保証されている。住宅政策は福祉政策として考えらえている。
日本は、安心は金で買っている。こちらは賦課税金方式で、子供や高齢者は自分の力では生きていけないので、成人になるま では大人責任を持つ。大人が税金を払うことにより、子供の教育は無料である。高齢者は年金だけで生活できる。 世代間の連帯意識があり、税金を払う時期と、還元される時期がある。税金を払うことは前払いであり、お互いに助け合って生きていくために払っているのである。 共同連帯による安全ネットで生活を守っていく。普遍的な福祉国家を目指している。 地方税は30%、国税は15% の人が25%の人が所得税を払っている。 保険料は企業が払い、個人の負担はない。1930 年代から、福祉国家を目指してきている。 人間に価値は同じであり、すべての人間は平等である。だから、障害者にお金を使うのは当然である。労働者の90%は労働組合に組織されている。
AM9時50分 アールベルユ・レハーブ(福祉機器の会社)に着く
歩行車を作っている会社である
歩行車の説明を受ける

軽くて機能的な手押し車である
日本では26000円から30000円で手に入るが
スウェーデンでは無料で高齢者に貸し付けられる。
使いやすい歩行車
1963年から仕事をしている。 最初は医療器械を作っていたが、現在は歩行器(車)を90%作っている。これは無料で必要な高齢者に貸し付けられる。日本へも販売社を通じて出しており、シャープ(大阪)が輸入して販売しているとのこと。実際に動かしてみるが利用しやすいように作られている。
鉄パイプをまげているところ  工場は8人が働いており、1日50台作成する。溶接工の給料は17,000クローネ(約221,000円)労働組合は産業別に組織されており、職業別に賃金も違う。雇用保険は企業が払い、個人負担はない。教育も無料で、保育料は所得に応じて払う。税金は高いが、自らに還元されるものである。
工場内を説明してもらいながら見学できた。みんな明るく楽しく仕事をしているように見える。
全国にメーカーは200ぐらいある。ここは去年7000台作った。全国には5万から6万台はある。すべて県が買ってくれる。 高齢者や障害者が自立して生活するために必要な機器は、あくまでも、一人一人が利用しやすいものをと作られている。自治体が力を入れている様子が、説明してくれている責任者から伝わってきた。
最後まで住み慣れた家で
次の視察場所に行くバスの中でもレクチャーが続く。・・とにかく張り切っている通訳さんであり、ありがたいことであります。
  • 県は予算の80%を保健医療に使用している。自治体は地域に医療センターを持っている.
  • サービスハウスは年金者が利用し(障害者は65 歳以下でも利用できる)ホムヘルプサービスや集合住宅もある。
  • 1970 style=" 年代からサービスハウスが始まる。
高齢化率が1950年に11%で、戦後高齢者対策が始まる。いままでは老人ホームを作ってきた。しかしこれは現在の姥捨て山であるとの批判のなかで、 1060 年代にホームケアで住み慣れた家と同じような状況になかで過ごせるようにしてきた。
古い老人ホ−ムを改善してきた。1980 年代から2000 style=" 年までに施設はなくなってきた。すべてが地域の中で看るようになってきた。後期高齢者( 80 歳から90 歳)のみが老人ホームやナンシングホームに24時間体制の特別住宅に入る。 亡くなる前の数ケ月しか入らない。住宅事情が悪いから施設に入るのではなく、できるだけ自宅で自立して生きていく道を選択しているのである。 たとえ、痴呆性の高齢者であっても、個人の決定権がある。本人の嫌がることはしない。 2 週間ぐらい施設に入ってみて、それでよかったら入居する。当事者と家族の合意が大事であり、家族を支援することは行政の義務である。
AM11時10分 リードガーデンサービスハウスに着く
高齢者住宅や、ホムヘルプサービスのヘルパー詰所、温水プールや各種木工や、陶器、機織り等の場所もある総合的な施設。20年前にできた施設である。 高齢者住宅は146戸あり、200人が入居している。
中庭もあり、利用できる。障害者用には1メートルぐらい高くして、腰を曲げないでも土をいじれるように箱ができている。施設の中は色を変えて部屋ができておりわかりやすいようにしている。ヘルパーはここを拠点に地域に出て行く。 会議室や舞台のある大きな部屋もある。ビリヤードや木工や陶器、機織りは誰でもできるようになっており、楽しんでいる。
PM12時 施設内の食堂で昼食を
メニューはイワシの油いためと、マッシュポテトを頂く。大勢の皆さんと一緒の昼食はとても美味しかった。
24 style='font-family: 時間体制の医療センターが地域にある
右側が地域医療センターで働く医師
1987年から運営している。
所長は女性である。医師は2人、看護婦3 Century}">人。2000人の地域を対象にセンターがある。企業の予防や指導も行う。県から、委託を受けて民間が運営し地域の医療に責任をもっている。財源はすべて県からくる。1998年の長野オリンピックに医師として派遣された人もおり、ポスターが部屋に張ってある。
診察は予約制である(平均30分)が急患も受け付けている。知的障害者に対しては産まれたときから、その人のためのチームができる。県が責任をもって、その人の生涯について責任を持つのである。地域医療センターの医師は5 年半学校で学び、その後2 年間は給料をもらいながら、医者へ勤務して、合格すると医師の資格を受ける。その後5 年間色々な専門職を受けると一般医となれる。国家試験はない。すべて国立の学校であるから、日本のような私立、国立の差はない。 一般医ができないことは専門医に診てもらう。
すべての住民が、かかりつけ医を持っている。地域看護婦は成人病のアドバイスをする。医薬分業になっており、薬も無料である。障害者、子供、学生、高齢者はそれぞれの専門医が診る。会社員は産業医が診る。それ以外は一般医として、地域医療センターで診る。入社試験はなく、医者も労働者もどの職種も何年でもいられる。
年間約100人が医師になるが、医師は不足しているとのこと(全国で34000 人)。一般医が不足している。今まで病院中心であり、専門医が多かったが、 10年ぐらい前から地域センターができるようになり、一般医が必要となる。 地域医療センターは2,000人に医師1人で、24時間体制で運営している。歩いて数分のところにセンターはそれぞれできている。
乳ガンや子宮ガンの検診は年になれば全員が行う。子供や妊婦の定期健康審査もある。 必要な人には、すべての医療を受けることができる。
民間の力を導入した新しいタイプの施設ができている
PM2時
オリオン グループ リビィング(痴呆性老人や高齢者のグループホ−ム)へ
4階建てのできたばかりの建物である。女性の責任者が説明と施設の案内をしてくれた。いままでコンミューンで25年間働いてきた。建物はコンミューンの物で運営を委託されている。看護婦7人(昼4人、夜3人)。作業療法士1人。理学療法士はコンミューンから1人派遣されている。家賃は入居者がそれぞれコンミューンに払う。 1階から2階は身体的障害者で50人、3階は痴呆性で16人が入所している。 入居者の判定はコンミューンが行う。ニーズ判定に基づいて必要なサービスとケアを行う。 入居者それぞれの個人記録がファイルされている。 民間ではあるが、時々コンミューンの抜き打ちの調査がある。職員の分権化を図り、任務分担を明確にして、入所者が尊厳をもって生きていけるように対応している。 家賃は4,180ククローネ(54,340円)で、所得に比例して払う。地域医療センターの医師が週1回来て診察を行う。この民間会社は、1995年からはじめて、全国に50の施設と3000人が働いている。よい人間関係とよい質を持って運営している。儲かることより、採算が取れればよいという理念で運営をしている。 今後のスエーデンの福祉について、そのあり方の方向性を見たような気がした。模索をしながら動いている福祉政策の一端を垣間見た。 強行日程の視察であった。もう1日あればゆっくりと勉強ができたのにと残念に思う。
PM5時15分 ホテルにつく。
今日でこの視察も最後の夜であるので、参加者全員でイタリアンレストランに行くことにした。添乗員としてお世話していただいた窪田さんのお礼も兼ねての夕食となった。 一人一人が参加した感想を出し合いながら、楽しい一時を過ごすことができた。
PM10時過ぎに、4人でストックホルムの夜の街に出た。
どうしても行きたいところがあった。それは地元のバーである。街の角にあるこのバーは満杯である。みんな立ってビールを飲みながら熱く語らっている。陽気な人々である。ギターを弾く人。踊りだす人。何を喋っているかよくわからないが、とにかく熱気がある。これがスウエーデン人か。中世からこのように語らいながら、現在の民主主義ができてきたのであろうか。そんな熱気に触れながらビールを飲んで、少ない北欧での残された時間を楽しむことができた。
12時ごろホテルに戻り、明日の準備をして、シャワーを浴びてゆっくりと寝た。